私は法のために生まれてきた(二) 文/中国遼寧省の大法弟子
(明慧日本)私はこのようにしました。国語の教科書に毛沢東、江沢民が題辞した内容は引き裂きます。政治課の先生が法輪功を中傷する話をするときは、私は発正念をして先生の異なる空間の邪悪な生命と要素を取り除き、学生たちを害しないようにします。このような知識は人を害するもので、頭から取り除き、ひとつも残してはなりません。
学校にいるときは、心性の試練が多く、同級生間の張り合いなどで、機嫌が悪いとき同級生はどうしても私を怒らせる話をしてきます。このときが心性の試練で、心が動じないとその関は乗り越えることができ、我慢できなかったらその関は乗り越えられないのです。もし、友達と争ったりすれば、心性が落ちます。心性の試練はこの方面だけではありません。今は社会のいろいろなところに誘惑があります。テレビ、映画、オンラインゲーム、雑誌などなど。修煉者がこのようなものに気をとらわれれば、その中に落ち入ってしまいます。私はテレビ、常人の雑誌は見ませんが、インターネットカフェには誘惑を感じます。
去年のクリスマスイブの時、友達はどこで遊ぶか相談し合いました。私も心が動いて、私と関係がよい友達と一緒にインターネットカフェに行こうとしました。友達もこの考えに応じてました。放課後、私たちはインターネットカフェに向かうとき、私は自分が大法弟子であることを確認してみました。「自分は修煉者で、大法弟子である。こんなところに行って何をするのか? あそこの環境は良いはずがない。私が行ったら悪い物質が私の空間に入り込むのではないか。これは自分で求めることではないか」ここまで考えて、私は友達に「私は行かない」と言いました。友達もちょっと迷ってから「君が行かないならば、僕も行かない」と言いました。私たちは戻ろうとしたとき、なんとなく心残りがあるようでした。このとき、私はばったり倒れました。友達が私を支えて起こしてくれました。私は心から思いました。「私の悟性はなぜこんなに低いのか。行かないことは当たり前のことなのに、心から捨て去れず、師父にご心配をかけてしまった。なぜ、師父が悟らせてくださってから悟るのか」 私は今回の教訓で、ネットカフェにはこれから行かないようにします。
このような環境で、向上は早いのですが、ちょっとでも自制できないと流されてしまいます。もし師父の啓示と保護がなければ、正法の進展について行くことは難しいのです。師父に心より感謝します。大法の修煉環境こそ、唯一の浄土なのです。
2010年12月07日
明慧ネット:jp.minghui.org
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