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法をもって師とすれば、修煉は軽やかで楽しくなる(一)


文/中国の大法弟子

(明慧日本)私は1997年に修煉を始めた大法弟子で、裁判所に勤めています。『転法輪』を得たその日から、私は師父の教えをしっかり覚えています。「絶えず執着心を取り除くことこそ人間の修煉の過程のすべてです」(『転法輪』)と、師父は言われました。十数年来、師父の導きと加護の下で、私は時々刻々、自分が修煉者であることを意識し、師父のおっしゃったとおり、一歩一歩今日まで歩いてきました。私は「修煉は難しいことでもあれば、また簡単なことでもある。厳粛でもあるが、また軽やかで楽しい」と感じました。師父と同修達に私の修煉体験を二つ、簡単に報告して、交流したいと思います。
 
 一、楽しく名、利、情を修める
 
 1997年夏、私は夫と別居していたため、夫婦が一緒に暮らせるように職場を変わろうとしました。働き口もすでに探して、さまざまな手配もしておきました。最後は働き口に転勤の証明を出すよう催促することだけが残りました。6月11日、私は実家に帰って父親の誕生祝いをしました。幸運なことに、そこで宝ものの書籍である『転法輪』を見つけました。夜9時からずっと翌朝5時まで、分かろうが分かるまいが、私は一気に読み終えました。不思議なことに、この本を読んで心が震えました。この本はまさに私が求めていたものであると感じました。
 
 私は自分がなぜ生きているのか分かりました。私はこれ以上転勤のために奔走すべきでなく、すべてを自然の流れに任せることにしました。現在に至っても、わたしたち夫婦は依然として別れて生活していますが、私は悔いも恨みもありません。特に、同じ県に在住している同修達が勇猛邁進し、大法のために、着実にまじめに頑張り、とても良い環境をつくり出し、協調人として、私は夫婦の両方の家を行ったり来たりしても、内心はとても楽しく落ち着いて、とても価値があると思っています。
 
 修煉者であるからには、無条件に「真・善・忍」を実践しなければなりません。修煉する前、私は割合、性格の荒いタイプで、少しでも気に食わないと夫を怒鳴り、ひいてはけったり殴ったりしました。修煉後、夫の方がむしろ性格が荒くなり、よく私に殴りかかってきました。最初、私は言い訳もしましたが、家庭が私の修煉の場であると思うと、夫婦間のトラブルはまさに私の心性を高める機会でした。師父は私達に「殴られても殴り返さず、罵られてもやり返さない」よう要求しておられます。だから、わけも分からず夫が激怒する度に、私は師父の次のような法を思い出しました。
 
 「忍とは心性を高める鍵です。怒り恨むこと、不平、涙をたたえて忍ぶことは常人が世間体に執着する忍です。まったく怒り恨むことがなく、不平に思わないことこそ修煉者の忍なのです」(『精進要旨』「忍とは何か」) 私は無条件に内に向けて探し始めました。涙をたえて忍んでいたのが、楽に忍ぶことができるようになりました。最後は平然と放下できるようになりました。修煉を始めてまもなく、ある日、私が子供にご飯を食べさせていた時、夫は原因もなくトウモロコシのおかゆと白菜の炒めものを私の頭にかけました。私の心は動じることなく、平然として上着を脱ぎ、水道水で頭を洗いました。当時は痛みも感じませんでしたが、首と肩は赤くなり、小さい水ぶくれができました。後で私は、師父が私の代わりにこの痛みを引き受けてくださったと分かりました。洗っても洗っても、髪の毛はずっとベタベタしてきれいに洗えなかったので、私は思いきって丸坊主にし、帽子をかぶり、すべきことをしました。
 
 1999年、私は4回北京に行って法輪功が迫害されていることについて陳情しました。2回目までは夫からの妨害がなかったので、私は順調に行くことができましたが、3回目に私がやっと機会を見つけて行こうとした時、夫に見つかり、一発殴られて地面に倒れてしまいました。私は目から火花が出てくるように感じました。しばらくして落ち着いた後、私はゆっくり起きて座り、さらに地面に座って、懐から『転法輪』を持ち出し、大きな声で読みました。このような私の様子を見て、夫は心痛く思ったのか、仕方なく私をベッドの上に抱きあげてくれました。
 
 夫も裁判所に勤めており、中共(中国共産党)の毒害を深く受けていました。法輪功が弾圧されて十数年、私はずっと夫に真相を伝えようとしましたが、夫はいつも足を踏みならし烈火のごとく怒りました。普段もこまごました家庭のささいな事で私によく殴りかかってきました。一度はあろうことか、夫が片側のひざをかがめて私の身体の上に乗ったので、私の肋骨が2本折れてしまいました。私は依然として夫に対して怨みを持ちませんでした。できるだけ夫の良い面を思い、生活の中で、夫に対して心を尽くして世話をしました。夫が私に殴りかかった後も、私は夫のため、夫に「怒ることはよくないので、自分の健康に気をつけるべきです」と勧めました。最近、私は不注意にも「明慧週刊」を机の上に置きっ放しにしていました。夫はそれを取り出し、ゴミ箱に投げ捨てました。
 
 私は夫にそうしてはいけないと勧めました。夫は私を押しつけ、殴りながらまた大きな声で叫び始めました。「ほかの家庭はみな仲良く生活しているのに、お前は私に災難を持ち込んでくる。私の前途はお前によって滅ぼされる」と怒鳴りました。私は穏やかに言いました。「私が修煉してから得たものは修煉する前より多いのです。私が自分自身も滅ぼさなかったのに、あなたを滅ぼすわけがないないでしょう。騒がないで、息子がもうすぐ学校から帰って来ます。私は食事を作ります」と言うと、夫は烈火のごとく怒り、怒りで全身に大汗をかきました。夫はすべての電気を消し、「誰も食事をするな、私はお前の夫だ。お前は私の言うことを聞くべきだ」と叫びました。夫の慌てる様子や、罵る言葉を聞き、私は暗闇の中に座って「ぷっ」と笑い、「この家のすべてのことは私が神経を使って世話をしている。あなたは夫だけど、私に何を言えるの? 私にあなたの話を聞けというの? 私は師父の指示に従います」と思いました。後で私は「なぜ私が笑い声を出したか」と考えてみました。それは、夫に対して慈悲の心が足りなかったからかもしれません。
 
 その日、息子は父親に対する強烈な不満を私に言いました。息子は私と一緒に学法の場所によく行っていたので、私は息子にこう言いました。「お父さんも常人として楽ではありません。お父さんが私達2人に対して厳しく要求しているから、私達は整理整頓をきちんとし、家事も細やかにするようになりました。ましてや、家庭は私達の修煉の環境です。お父さんとのトラブルは私達の心性を高めるためにあるのです。師父は『業力の転化』という節でとても詳しくおっしゃいました。私達は修煉者です。大法があります。しかし、お父さんは常人で、お父さんにはあなたと私しかいません。だから、私達はお父さんのことを理解し、お父さんのためによく考えましょう。私達はお父さんを救い、お父さんを大法の中に誘うべきです」と言うと、息子は理解しました。
 
 ある同修から「修煉者にとって最も越えにくいのは利益と子供に対する情の関門だ」と言われた覚えがあります。私は、子供に対する情は大きなことではないと思っています。北京に4回陳情に行ったときに、私は2歳になったばかりの息子を置いて行きました。私のいない間に息子がどこで過ごしたかを私は未だに知りません。なぜなら、息子は母親がいなくても、父親、祖父母が世話をし、親は娘がいなくても、兄弟姉妹が世話をすることを私は知っていたからです。しかし、私には大法がなければなりません。なぜなら、私の生命は大法のために存在しているからです。宇宙の真理のためにすべてを捨てられることを私は誇りに感じ、それは修煉者の本分でもあると思っています。しかし利益の関門の前で、その時、私は比較的よく行わなかったので、今思い出しても恥ずかしく思っています。
 
 それは息子が小学校に通う前のことです。夫の姉はある名門小学校の付近の家を9万元で私達に売ると言いましたが、その後、家の値段が上がったという理由で、こちらに売りたくないと言ってきました。私は少し受け入れにくかったのです。ちょうどこの時、夫の兄が2年前にこちらから借りた5万元を私達に返そうとしないばかりか、ひいては私達が夫の兄に投資して工場を建てさせたお金さえとぼけていました。夫の兄の妻はもっと非を認めません。こうなると、私は憤慨して心が落ち着かなくなりました。姑はずっと私達と一緒にいましたが、この時、私は夫に次のように言いました。「お母さんがずっと私達と一緒にいても、私は今まで何も言ったことがありません。あなたの兄さんと姉さんがこのいきさつを知らないばかりではなく、このように私達をいじめるとは思いもしませんでした。お母さんが3人のお母さんである以上、皆で交代して世話をしましょう!」というと、夫も反対しませんでした。
 
 そこで、姑を夫の兄の家に送りましたが、兄の妻が引き受けてくれません。夫の姉の家に送りましたが、姉の夫が引き受けてくれません。仕方なく、また我が家に連れて帰りました。ある日、学校から帰って来た息子は姑が涙を流すのを見て「お母さん、なぜおばあさんを苦しめるの? お母さんがこうするなら、将来私はお母さんにどう接したらいいの?」と言いました。私も姑の立場に立って考えれば辛いだろうと思っていましたが、息子のこのような話を聞くと、さらに姑に申し訳なく思いました。私は姑にこれらの事を話し、姑に謝り、次のように言いました。「兄さんと姉さんから話がないかぎり、ずっと一緒に住みましょう」姑も理解しました。しかし、私は自分が本当に足りないと思いました。修煉者として常人と細かく言い合い、姑の面倒をみないと言っていいでしょうか? 本当に師父に申し訳なく思います! 大法に申し訳ありません! 2,3日後、これらの事に対して、私はすべてを平然と放下することができました。
 
 もう一つ、私を動揺させた出来事を皆さんに話しましょう。2000年10月、県から5人の警官が私の家を尋ねて来ました。ある同修の息子が自分の母親を帰してもらうために、そこの大法資料は全部***(私の名前)が持ってきた、と供述したそうです。警察は当時、私を連行しようとしました。私は自分が邪悪に隙を突かれたことが分かりました。なぜなら、同修はこの前、家を内装する私を助けるため、材料を仕入れる人を探してくれました。しかし、材料を仕入れる人は私が相場を知らないので、相場の2倍に相当する内装の材料費を請求したのです。その時、私は心のバランスが取れなかったので、怒りをぶちまけて「私はもう修煉しません。真善忍を実行する良い人になると、あまりにも損をしてしまう」と言いました。
 
 警官らと直面した時、「師父は私が修煉できると見て、私を見捨てずに、このような方法を通して私を取り戻されるのだ」と悟りました。連行されて行く途中、私は警官らに言いました。「あなた達が今日私を捕まえに来なかったら、私は本当に修煉しなかったかも知れません。今度こそ私はきっと堅く修煉を成し遂げます」と言いました。私は隣の県の留置場に70数日監禁されました。留置場で私は警官らを一切相手にせず、一文字も残さず、釈放されました。しかし、思いもよらなかったことに、県の宣伝部門とテレビ局が撮影機材などを持って親の家に私を探しに来て、私を取材し、録画しようとしました。その時、私は大声で厳しくその人達を責めました。
 
 このことは私の家族全体を怒らせました。両親、兄弟、姉妹が一斉に立ち上がり、私を殴ったり蹴ったりしました。その殴り方は本気でした。母親は私の頭を抱えて石の地面に必死にぶつけました。父親は「どうしてお前のような反革命者が出たのか? お前の足を折っても、お前が再び恥をかくことを許さない」と言いました。弟は腕を回し、私を指しながら「この家はお前によって被害を受けた」と言いました。私は家族の包囲と攻撃から抜け出し、弟を指しながら「何を言うの? 法輪功を迫害した人は、家をなくし、肉親を失い、地獄に行くのよ」と言いました。その時、私は弟が空気の抜けたボールのように、萎れてしまうのを見ました。私のこの様子を見て、他の家族たちも先ほどのすさまじい気炎がなくなり、他の人達もみなしょんぼりと帰りました。その後、長期にわたり、私は家族に対して強烈な怨みを持ちました。
 
 法を正す進展が進むにつれて、真相を伝え、人を救うことが私達の最も重要な責任となりました。しかし、私の家族はほとんどが中国共産党の党員幹部ですが、家族は私の衆生でもあります。ましてや、家族も中共のデマの宣伝に毒害され、邪悪によってコントロールされたのです。私は家族を救うべきです。この一念で、私は以前の嫌な思いを放下して怨みをなくし、これまでと少しも変わらぬ態度で家族によく接しました。姪と甥の生活と勉強に関心を持ち、何か良いものがあれば送ってあげました。最大の努力を尽くして、大きいことから小さいことまで「真善忍」で自分を正しました。私たちの地域の風習は、息子たちが老人の世話をするのです。両親は家を買うべきなのに、兄弟2人とも見て見ぬふりをしていました。私は十数万元を出して両親に家を買ってあげました。私は自分の真心と行動で親を感化し、修煉者の風貌と大法の素晴らしさを見せました。これと同時に、常に機会を逃さず、家族に真相を伝えました。家族はみな中共の組織から離脱し、親は大法の修煉に入りました。
 
 師父に感謝します! 大法に感謝します! 私にどれだけ多くのものを与えてくださったでしょうか? もし大法がなければ、私は個人の恩と恨み、感情の起伏の中に陥り、一生苦しんだでしょう。もし大法がなければ、私は家庭の是々非々と利害得失にがんじがらめにされ、一生悩んだでしょう。もし大法がなければ、私は官界の波に流され、一生をかけて業をつくり、自分の永遠の生命を滅ぼしたことでしょう。大法があるからこそ、私達は山奥の老樹の所で修煉する苦労を免れ、俗世の生活の中で修煉できるのです。時々刻々、自分を修煉者と見なし、心性を守れば、修煉も意外にこのように簡単で、軽やかで楽しくなるのです。
 
 (明慧ネット第7回中国大陸大法弟子ネット法会)
 
 (続く) 
 
2010年12月13日


(English:http://www.clearwisdom.net/html/articles/2010/12/6/121811.html
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