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難病の絶望の中から生命の曙光へ(二)


文/中国の新しい学習者 暁慧

(明慧日本)師父は私達に、本を読むだけでなく、着実に修煉し、心性を高めるように要求しておられます。法を学ぶ時間が長くなるにつれて、だんだん師父の説法、「身を労するを苦と算せず、心を修するは最も過ぎ難し」(『洪吟』「苦其心志」)の意味を理解できるようになりました。
 
 法を学んでいるうちに、法に照らして見たら、自分自身には直さなければならないところがたくさんあると気づきました。例えば、勤め先では口を修めるべきで、言いたい放題に言ってはなりません。強く何かを求めたり追求したりしないで、家族に対してはもっと忍耐すべきです。しかし、最初はこれらを直すのはとても難しかったのです。間違っていると分かっていても直せなかったのです。
 
 修煉を始めて2カ月後も、いつも夫と喧嘩をしていました。家族との関係もうまく処理できませんでした。師父は、どんなことがあっても内に向かって探さなければならないと私達に教えておられますが、いつも自分をコントロールできないのです。夫と喧嘩するとき、2人はどちらも譲りません。また心性を守れなかったと分かり、後になって後悔します。冷静になって、また喧嘩をするとき、私は意識的に自分をコントロールし、何も言わないよう我慢しました。忍耐できましたが、その過程はとても苦しかったのです。そのうえ、家族ともトラブルが生じました。家では夫が病に苦しめられている様子を見て、自分のせいでいつも彼を怒らせて、どうして自分は「真、善、忍」を守ることができないのかと、本当に心身ともに疲れ果て、自信を失うところでした。
 
 幸いにずっと週1回(現在は週2回)のグループ学法に参加して、多くの問題を同修と交流する中で、正しく認識できました。同修は私に『精進要旨』の「忍とは何か」を暗記するよう言いました。「忍とは心性を高める鍵です。怒り恨むこと、不平、涙をたたえて忍ぶことは常人が世間体に執着する忍です。まったく怒り恨むことがなく、不平に思わないことこそ修煉者の忍なのです」
 
 けんかについて、私のそれまでの忍は法の上での忍ではなかったのです。怒りや恨みや不平のない忍は苦しみを感じないはずです。トラブルが起きた際に心が動じてはいないのです。
 
 家族に対しては、同修が言ったようにバランスを保つことが大事です。修煉者としてはまず良い人であるべきで、家族を思いやって、私心を放棄し、どんなことでも他人のことを先に思うべきです。この点を私はしっかりと行っていませんでした。あまり他人のことを配慮しませんでした。事実上、自分が今どんな立場に置かれても、言い訳をしてはならず、積極的に家族に関心を持ち、助けるべきです。
 
 夫が注意してくれたように、家族が話していることが聞き辛くても、聞いてあげなければならないのです。それは彼らが常人であって、言っていること、行っていることも常人だからです。例えば、常人が言っていることは聞いてあまりにも現実的なので、彼らのことを悲しく思います。しかし、家族である以上やはり仲良く付き合うべきです。自分がしっかりして、最大限に常人の状態に合わせて修煉し、バランスを取りながら常人との関係を対処できるようにすべきです。
 
 三、昇華
 
 あっというまに2010年になりました。法を学んでから半年あまり経ちました。ふと気づいたのは、いつの間にか心は以前よりずっと静かになり、そして穏やかになりました。突然トラブルが起きても冷静に対応でき、真剣に内に向かって探せるようになりました。考え方も変わりました。修煉は最初、夫の病気治療のためから始めましたが、生死を無視し、修煉は返本帰真のためだと思うようになりました。私は、自分にますます自信を持つようになりました。
 
 家族との関係も改善しました。他人を思いやることのできない私がだんだん変わってきて、家族とも同僚ともいつも他人のことを先に思うようになりました。それに、絶えず情に執着しないよう、自分に言い聞かせ、関係をうまく処理すると同時に、親族でも、友情でも、情に対する執着を捨てます。
 
 夫と喧嘩することも少なくなりました。今になって私も分かりました。最初に修煉を始めたのは潜在意識では夫のためでしたので、彼が精進しないとき、私は焦ってしまって、心が落ち着かなくなり、トラブルが生じてしまったのです。法を学んでいるうちに私はだんだんと分かりました。本当の修煉は自分の努力によるもので、誰も他の人の運命を変えることができません。成就できるかどうか、最後まで続けられるかどうかは全て自分自身の問題です。同時に、夫も内に向かって探して、自分の間違いを反省しました。このようにして、彼が間違ったとき、私は彼に注意すると、彼は直します。私が間違ったら彼もその都度、注意してくれます。
 
 私も法輪大法を修煉する楽しさを味わいました。心の中からの本当の善意で対人関係に対処するとき、同様の報いを得られます。私と姑の関係はその例です。修煉後、私は自分の親のように、生活の中でいつも誠意を持って彼らの面倒を見て、いい嫁になるよう努力しました。ある日、偶然に親戚から姑が彼女達の前で私をどのように褒めたのかを聞いたとき、多少恥ずかしく思うとともに、言い表せない感動もありました。
 
 この全てのことは、私の法輪大法を修煉する信念を強め、ますます師父に感謝し、こんなに素晴らしい法を私達に伝授してくださった師父のご期待に背くことはできません。
 
 修煉は本来、生易しいことではなく、寂しさや見た目では味気ない生活を辛抱しなければなりません。幸いに、私達夫婦は縁があって同時に修煉を始めました。一緒に精進し、間違ったら互いに注意して、精進しないときは互いに励まし合います。
 
 トラブルや摩擦の中から徐々に悟り、だんだん自分を高めていく、これが修煉の過程です。もしあなたが新しい学習者でしたら、自分の辛抱が足りないとか争う執着心があるとかで心配したり、自信を失ったりする必要はありません。自分の過ちや不足を正しく認識できれば、あなたは必ず乗り越えられます。それは、大法が玄妙で奥深いからです。あなたは絶えず自分のよくないところを直し、絶えず「真、善、忍」で自分の心を律するように努力すれば、あなたの心は自然に穏やかになります。
 
 「功を修るに路有りて、心を徑と為す、大法は無辺、苦を舟と做す」(『洪吟』)
 
 果てしない修煉の道ですが、私達は必ず最後まで修煉し続けます!
 
 (完)
 
2010年12月17日

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