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神韻のおかげで私はいっそう向上できた(一)


文/日本の大法弟子

(明慧日本) 
 
 尊敬なる師父、こんにちは! 同修の皆さんこんにちは!
 
 一 、困難を克服して、家族全員が神韻の宣伝に参加
 
 我が家から神韻宣伝の場所まで車で約3時間あまりかかります、2歳と3歳の幼い子供もいるため、週一回の集団学法に参加することさえ保証できない状態でした。このような困難に直面して、私には毎日街頭での神韻宣伝に行けるのでしょうか? 街頭宣伝に人手がとても必要だと協調人が言いました。どうすればよいのかを、私は繰り返し考えて、絶えず学法しました。
 
 師父は『大ニューヨーク地区法会での説法』で、「現在現れてきた学習者の間の摩擦ですが、皆さんはそれに気をつけるべきです。これらの些細なことで大法弟子が本来行なうべきことに影響してはいけません」とおっしゃいました。自我を放下しなければならないと認識できました。師父の正法に随い、全体の中に溶け込まなければなりません。
 
 また、師父は『最後になればなるほど、精進すべき』でも「この世で常人の中で修煉するのが大法弟子の修煉方式であり、しかも修煉の中で人の心を直に指摘するのだと皆さんはすでに分かっています。人間の執着と、法を実証し衆生を救い済度することを妨害する観念はみな、取り除かなければならないものです。神の道を歩んでいる修煉者にとって、これら常人の心の執着を取り除き、これらの観念を変えることはそれほど難しいことなのでしょうか? もし修煉者がこれをも取り除きたくなければ、修煉者としての現れはどういうものなのでしょうか?」と私たちに指導してくださいました。私は、子供が幼いという理由と安逸心を求める心を放下しなければならない、と師父の説法を勉強して分かりました。
 
 師父は2009年の『大紀元会議での説法』の中でも「一枚のチケットを売れば、一人が救われる」とおっしゃいました。師父の法理はすでにここまで明らかに説かれています。神韻は師父自ら行われるプロジェクトで、90年代に師父自ら大法を伝えていたことに等しい、と私は認識できましたので、師父について法を実証して、人を救わなければならないと決心しました。
 
 私の家から地下鉄の駅まで一日、バスは3本しかなく、初めのころ、子供を保育園へ送ればいつも始発の電車に間に合いませんでした。子供が幼いので朝すぐには起きず、私は焦ってよく子供を怒りました。よく遅刻したり、街頭宣伝に行けなくなったりしました。
 
 神韻の街頭宣伝はますます忙しくなり、人手が足りず、私はとても焦っていました。自分の心を整えて、目下の困難を克服する必要があると分かっていました。毎日朝8時に出かけて、夜9時すぎに家に着くので、毎日子供の送迎を手伝ってほしいと姑に相談すると、姑は同意してくれました。このようにして、私はほとんど毎日街頭で宣伝ビラを配ったり、正念を発したりして、同修と協力して、劇場近くでの街頭宣伝をずっと続けることができました。
 
 最後の数日間、通勤の人たちにも神韻公演の情報を知ってもらえるよう、夜7、8時まで宣伝しなければなりません。そうすると、私は帰宅できるのは夜の11、12時になります。子供が寝る時お母さんを探しているので、姑はとても疲れて、文句を言ってきます。私は「あなたの孫でもあるのではないのか? あなたが面倒を見るのは当たり前ではないか?」と心で思い、姑の気持ちを考えようとしませんでした。でも、後になって考えたら、私の考え方は間違っていて、姑のために考えていないことに気づきました。それから姑に何かを言われた時、彼女を理解できるようになりました。私は夜遅く帰って、朝早く出かけるので子供はいつも寝ていて、子供の面倒は全部姑が見ていて、任せっきりでした。今思い返すと、本当に姑に感謝しきれません。
 
 毎日の街頭宣伝はとても疲れますが、毎日電車で3〜5講の学法をすることができるので、とても充実していると感じました。その期間に大法弟子の日課の「三つのこと」を、私は概ねしっかりとやり遂げていました。
 
 二、良くない念を取り除いて、絶えず自分を清浄にする
 
 ふだんスーツを着ない、オシャレもしない私は、神韻宣伝のため、わざわざきれいなコートを買いました。マフラーをつけて、けっこうオシャレだと思いました。ある日、私は別の宣伝場所へ資料を取りに行った時、ある経済条件が結構良い同修に会って、「神韻宣伝のために、彼女はもっと良い服を着るべきだ」と心の中で思いました。このような比較する心が生じたことに、すぐ気づきませんでした。そして、その同修が私を観察し始めて、さらに私の服装を批判し始めました。不満な気持ちや、人に指摘されたくない心が全部出てきました。しかし、その時の自分はまだ悟れませんでした。しばらくすると、もう一人の同修が来て、彼女と同じことを言いました。私は不愉快になって「私は資料を取りにきただけで、ここには残りません!」と言いました。
 
 後で考えたら、自分に執着心があったのではないでしょうか? 師父は同修の口を借りて私の執着を暴露して、私に取り除かせようとしているのではないでしょうか? なぜ、私はその時悟れなかったのでしょうか、と反省しました。また、外に向かって探す心も見つかりました。このような小さい出来事はまだたくさんあります。ここではすべてを列挙しません。今後、問題が起きた時に、私は必ず内に向かって探して、絶えず自分を清浄にしようと思いました。 
 
2010年12月19日

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