神韻のおかげで私はいっそう向上できた(二)
(明慧日本)三、同修と協力して、村人を救い済度する
私はとても辺鄙な村に住んでいて、村全体の世帯数は30数世帯しかありませんが、お金持ちの人が多く住んでいて、商売人や、議員、ロータリークラブのメンバーもいます。師父の慈悲なる啓示かもしれませんが、村人は私の救い済度を待っているかもしれないと思うと、強い責任を感じます。しかし、私は日本語が話せません! どうしましょう。日本語ができる同修が私の村に来てくれればと思い、日本語の上手な同修・Aさんに相談してみました。すると、彼女は同意してくれました。
来る前日の夜、Aさんが電話をかけてきて「まず神韻のチラシを村の全世帯に配布してください」と言いました。当時、大雨が降っていたのですが、救い済度を待っている村人や、車で1時間以上かけて高速道路を走って来る同修のことを考えれば、克服できないことはないと思いました。そこで、私は配りに行かなければならないと決意し、資料を手に傘をさして発正念をしながら出かけました。実は以前に一度、村で配布したことがありますが、犬がいる家には配りませんでした。今回は犬がいるかどうかを考えずに、1時間あまりをかけて村中に配りました。なんと不思議なことに、犬がほえる声を一度も耳にしませんでした。師父のご加護にとても感謝しております。
翌日、私とAさんは一軒ずつ訪問して、Aさんが神韻を紹介し、私はそばで発正念をしました。午後は市役所へ行き、3〜4人の議員が神韻の紹介を聞いてくれました。市役所から出たのは午後4時過ぎで、また2人は何軒かの家を訪ね、夜7時過ぎにAさんを見送りました。
帰宅後、私は全身に力が入らなくなり、見えない圧力に押しつぶされそうに感じました。これは妨害だと気づき、私は強い正念を発して、師父のご加護をお願いしました。私たちは人を救い済度しているので、いかなる邪悪にも大法弟子を試す資格はありません。30分の発正念をした後、やっと体力が回復しました。
翌日、Aさんは電話で各家の状況を教えてくれました。近いうちにもう一度各家を訪問して、少なくとも3回は訪問しないとね・・とアドバイスをしてくれました。日本語ができない私にとって、これはかなり難しいことですが、日本人の夫(同修)に同行してもらいたいと思い、相談してみました。
私は毎日街頭宣伝をしていて、夫は夜遅くまで仕事があるため、一緒に出かけられる時間帯は、朝7時〜8時の間しかありません。それに夫はスーツに着替えないといけないため、面倒がり一回であきらめようとしました。私たち2人は人を救い済度する重要性と難しさについて交流し、正念を強めました。
ある朝、私たちは議員の家を訪ねると、奥さんは、「前日の仕事帰りが遅かったので、今は休んでいます」と言いました。もう一軒の理事長の家を訪ねると、彼はとても親切に私たちを受け入れて、その場で1枚のチケットを買いました。これは、私たちに大きい自信を与えてくれました。これは師父からの励ましだと思います。
そして、また先ほどの議員の家へ戻ると、議員はちょうど出かけようとしていて、私たちに「チケット代は妻に渡しましたよ」と言いました。議員はその後、神韻を鑑賞してから、私の家に村の資料を届けに来た時、「とても素晴らしいです! とても素晴らしいです!」と神韻を賛嘆しました。その日は、我が家に資料を届けに来たというよりも、わざわざお礼を言うために来た、と言ったほうが正しいかもしれません。ふだん、彼が資料を届けに来たことは一度もなかったからです。
私と夫は土曜日を利用して、ロータリークラブの代表の家を訪ねました。彼は「神韻のプロモーション映像を見てとても素晴らしいと思いますが、公演日には用事があって行けません」との返事でした。しかし、娘さんが劇場近くに住んでいて電話をかけてくれました。娘さんは「行くなら、子供を連れてお父さんと一緒に行きたい。お父さんが行かないなら私も行きません」との返答でした。
そこで、私たちは帰るしかありませんでしたが、私はあきらめたくなくて、ロータリークラブ方面の営業担当の同修に彼の状況を説明しました。同修はすぐさま彼に電話をかけてくれましたが、彼は「公演当日の午前と夜に会議があるため行けません」との返事でした。電話を切った後、同修は私に「あなたの村の事はあなたの責任です」と言いました。私の責任? ならば、帰ったらもう一度彼の家を訪ねるしかありません。
翌日、夫と正装して彼の家に行きました。彼はまた留守で、彼の息子さんがとてもまじめに紹介を聞いてくれたのですが、息子さんも残念なことに「当日は仕事で行けません」との返事でした。しかし「神韻のプロモーション映像を見るととても素晴らしい、会社で宣伝しますよ」と言ってくれ、チラシを少し受け取りました。
明日は公演日です! 私は出かける前に「あなたの村の事はあなたの責任です」と言った同修の言葉を思い出しました。あきらめたくない私は夫と相談して、彼に手紙を書くことに決めました。私が中国語で書いて、夫が翻訳し「神韻は全世界を巡回公演しており、年に一度しか日本に来ません。日本語のできない私は駅でしかチラシを配れませんが、あなたのような身分の高い方は駅には行かれません。公演当日はお忙しいと思いますが、なんとかお時間を作っていただけないでしょうか」と書きました。夫の翻訳文を封筒に入れ、夫の姉に届けてもらうよう頼みました。夫とはずっと発正念をしました。公演日の朝、手紙を受け取った彼から、なんと5人を連れてくると電話がありました。私はすぐロータリー担当の同修に電話をして彼のチケットを注文しました。師父の慈悲と大法の不思議な力を感じました。
ここで1つのエピソードを挙げますが、その奇跡に私は歓喜心と比較する心が生じました。ある同修が隣近所で9枚のチケットを販売したと聞いて、私は10枚売れた、同修よりも1枚多く売れた、と嬉しく思いました。しばらくして、同修から電話が来て「子供1人が来られないので、ロータリークラブのリーダーは結局4枚のチケットしか購入できない」との知らせでした。私はすぐにこれは自分の比較する心のせいだと分かりました。すぐに発正念をして、この心を取り除き「師父、私は間違いました・・みんなの協力がなければ、私には1枚も売れません」と謝りました。すると、しばらくして、その同修から「やはり5人分あります!」と電話が来ました。これは師父の啓示であると悟りました。師父と同修に感謝します!
私の住む村に長年、中国と商売を行ない、中国共産党文化に深く染められた人がいて、彼は中国の腐敗官僚によく似ていると思います。夫と彼の家を訪ねた時、彼はパジャマを着たままでひげをそりながら我々の話を聞いていました。私は、マナーが悪い彼にがっかりして早く出ようと思ったのですが、夫は熱心にたくさん紹介しました。彼は、公演当日は劇場付近の歯科に行く予定があり「公演に行けない」と言いました。
私は、街頭宣伝に向かう電車の中で『論語』を勉強して「この領域を切り開くには、常人の観念を根底から変えなければなりません」の部分を読みました。「常人の観念」? 私は震動を感じ、繰り返し読むと、彼を常人の観念で見たから彼にがっかりしたのだと悟りました。これでは人を救えません。私たちは衆生を救い済度するために来ています。なぜ救うのでしょうか? 人が悪くなったからです。しかし私は、選別する心で衆生を選んでいます。また、これを悟って、私は彼にも手紙を書きました。師父の教えの通り彼のマイナス面に触れないよう、彼の好みに沿って手紙を書きました。「あなたは、中国文化を好まれ、よく中国に行かれ、中国語も勉強されていますが、中国5千年の文化の精華を再現した神韻公演は、年に一度しか来ません。ご覧いただければきっと好きになりますよ」と書きました。すると「午後4時の歯科を予約しているので、夜の部に間に合うなら観に行くかもしれない」と彼から電話がありました。
私の観念は、村に来てくれた同修Aさんの考え方にまで影響したため、私たちの彼を救いたい思う気持ちがあまり強くないせいで、結局、彼は来ませんでした。私はこの事を通じて、人の執着に執着してはいけない、人の良い部分を見るべきで、自分をしっかりと修めてこそ、はじめて衆生を救えると悟りました。
神韻公演が終わって何カ月も経過しました。今思い出すと、宣伝していたその数カ月間は、まるで慈悲なる師父が私のために修煉の空間を演化してくださったようでした。神韻の宣伝をする中で、自分の多くの執着心が取り除かれ、昇華を得たと感じます。
正しくない所があれば慈悲にご叱正ください。
慈悲で偉大な師父、ありがとうございます。同修の皆さん、ありがとうございます。
(完)
2010年12月20日
明慧ネット:jp.minghui.org
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