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修煉における不足を理性的に分析する(二)


文/中国の大法弟子

(明慧日本)
 
 五、救出について
 
 私は交流を通して次のようなことを考えました。家族全員が救出に参加し、 真・善・忍という宇宙大法の中で自分のいる場所を置き、同時に自分のために徳と福を積んで美しい未来を選択すべきです。救出のため、中共の警官に送金してはいけません。
 
 六、いかに旧勢力の按排を否定するか
 
 中共の警官に連行される前、何度も師父に啓示されましたが、私は重視しませんでした。「人心を片付けば悪は自ずから敗る」(『洪吟二』「別れ悲しむ」)このような場合、まず落ち着いて法を勉強し、内に向かって探し、正念を発して人心を取り除くべきです。人心がなくなったら、この黒色の業力の場もなくなります。
 
 魔難が現われた同修の多くは常人のものに執着し、修煉を緩め、学法と煉功が減り、三つのことをあまりやらず、集団での学法と切磋琢磨の環境がありませんでした。
 
 魔難の中で、どのように旧勢力の按排を否定するのでしょうか? 実際、師父は毎回の説法の中で私たちに教えられました。これは三つのことをしっかり行なうということです。内に向けて人心を探して除けば、旧勢力の按排を否定でき、法を実証して衆生を救い済度できます。警官に監禁されているとき、一つの考え、一つの念を法の中に置き、常人のことを一切考えず、さらに目の前の高い壁、鉄門、鉄網、食事にも念を一切動かさず、囚人や警官に真相を伝えるとき、短時間で彼らの考えを直し、他の多くの時間で法を暗記し、正念を発し、内に向けて探しました。師父は弟子の取り除くべき人心、悟るべき法理を啓示してくださり、その次元の法理を目の前のこの物質環境に現してくださいました。下記に2つの例を挙げます。
 
 1、中共の警官に監禁されて2日目、警官は私たちに「取り調べる」という言葉を使いました。私たちは犯人ではないから、この言葉を私たちに使ってはならないと思ってやめてもらいました。
 
 2、ある日、家族が会いに来たとき、泣きながら、私に修煉を放棄すれば人に頼んで保釈できると話しました。私は拒否しました。師父を離れ、常人に頼むというやり方は旧勢力の按排です。結局、巨大な難関をもたらします。私はこのような経験をしたことがあります。常人は自分の人生を左右できず、他人の人生を左右できるでしょうか? この数年に歩んできた修煉の道を振り返ってみて、精進しているとき、師父は何度も神威を現してくださいました。私は師父がそばにいらっしゃると堅く信じ、修煉に専念し、師を堅く信じ、法を堅く信じることを考えました。念を正しくして同修と一緒に正々堂々と発正念をしました。その日の午後、私は法を暗唱しているとき、警官はドアを開け、私を釈放しました。
 
 師父の要求に従う私たちは師父の弟子です。大法弟子はいかなる所でも法を実証し、衆生を救い済度しているのです。一つの考え、一つの念を法の中で正し、真剣に修煉しなければならないと思います。
 
 (完) 
 
2010年12月22日

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