■日本明慧 http://jp.minghui.org/2010/12/24/mh261464.html 



法を正す時期にしっかり修煉しよう

文/中国の大法弟子

(明慧日本)現在、一部の同修は忙しくて、常人の仕事をしながら師父の説法を聞いたり、真相資料を作成しながら師父の説法を聞いたりしています。これらの同修に、このやり方は正しくないと指摘すると、彼らは「聞かないよりましだ。しかも、どこにそんなに多くの時間があるのか」などと答えます。実際、師父は説法の中ですでにこの問題について説かれております。「ですから、法を学ぶ際、形式に拘らず、必ず心を放下して読み、本当に学び、心ここにあらずとなってはいけません。注意力が分散してしまえば、無駄になります。他の面から言えば、もし法を学ぶときに思いが法になければ、一つの形式の問題であるだけではなく、実は法を学ぶ者が法に対しても尊敬していないことになり、それで法が現れてくることはあるのでしょうか? この点から言えば、わたしが思うには、必ず心を放下して法を学び、注意すべきは忙しい情況下でも法を学ぶときには考えを落ち着かせることです」(『法輪大法各地説法二・ 米国フロリダ州法会での説法』)
 
 私たちは少し考えてみればすぐ分かります。私たちが仕事をしながら説法を聞くとき、注意力は一体仕事にあるのでしょうか、それとも法にあるのでしょうか? 同時に二つのことを行うことはできません。もし、仕事をしながら説法を聞くとき、仕事をしようと思っていたら注意力が学法になくなり、それは法に対して不敬になることではないでしょうか? そうすれば、法理は顕現されるでしょうか? 高次元の法理が見えなければ、私たちの向上を指導することができません。もし、注意力を学法におけば、仕事がうまく行えるでしょうか? 仕事をしながら、説法を聞くと、気が散ってしまいます。
 
 もし、心を静めて学法するのであれば、そのときは学ばないよりましで、聞かないよりましです。しかし、もし学法と仕事を同時に行い、かつそれが長期にわたって行われたら、また旧勢力に迫害の口実を作ってしまうのではありませんか。大法の書籍を手にして学法するとき、あるいは師父の説法の録音を聞きながら学法するときは、やはり厳粛な態度を持つのが最も正しい行為であると思います。
 
 発正念の時も同じです。今日発正念の時間になったとき、私は法を実証する仕事をしながら、発正念をしました。その時、師父の法が私の頭に浮かんできました。「大法弟子の誰もこのことを軽視してはならず、いかなる口実でも正念を発することをおろそかにしてはいけません。自分自身をきれいにすることができなければ、あなたはしっかり行なうことができません。更に、自分自身をきれいにすることができなければ、他の人まで妨害してしまいます」(『法輪大法各地説法三・大ニューヨーク地区法会での説法と法の解説』)当時、私は悟りました。三つのこととも同時にしっかり行うことも大事で、私たちは必ず三つのことを行う時間をよく按配すべきであり、このことのために時間を使ってはいけません。例えば、真相資料を作成するとき、資料を作りながら、発正念することは、三つのことをしっかり行っていないことになります。資料作成をいったん中止し、発正念してからまた作成すればよいのです。
 
 法を正す時期の大法弟子の修煉形式は、三つのことを同時にしっかり行うことです。また、三つのことを行う中で、心性を向上させ、自分をしっかり修めるべきです。これこそ、私たち法を正す時期の大法弟子の修煉形式であり、1999年以前の個人修煉と、歴史上残された修煉形式とも異なるところです。もし、三つのことをしっかり行うことができなければ、法を正す時期の名にふさわしい大法弟子ではなくなります。
 
 私は一部の同修と接触する中で、彼らが法を正す時期の大法弟子の修煉形式とは何かについてまだはっきりと認識してないことに気づきました。一部の同修は、私は今までいつも資料配布に行き、真相を伝え、すでに衆生をたくさん救いましたので、今は少し休んでもよいと考えました。その結果、休んで、病業に邪魔されました。また、一部の同修は病業に邪魔されてはいませんが、彼らの状態は安逸で、楽であり、人生を楽しんでいるような気がします。また、他の同修が毎日真相を伝えに行くのに対して、気に入らず、これらの同修が真相を伝える中での不足を見つけ出したりしています。また、一部の同修は、自分は最近状態が良くないため、まず状態を調整するからと言って、真相を伝えることを手放します。また、一部の同修は自分の状態が良くないので、しばらく二つのことだけやり、真相を伝えることは状態が良くなってからやろうとします。また一部の資料を作成する同修は、資料作成に忙しく、他の二つのこと、つまり学法と発正念に気を緩めたので、迫害されました。
 
 私たちは自分の状態がどうであれ、三つのことをやり続けるべきです。そうしてこそ、良い状態に調整できます。当然、自分の状態に基づいて、例えば、最初は怖がる心が大きいので、比較的にやり易い方式をとっても構いません。例えば、真相資料を配るとか、真相録音電話をかけるとか、携帯電話で真相メッセージを配信するなどです。自分の状況に基づいて行い、同時に毎日、法をもって自分を照らし、自分の不足を見つけ出し、少しずつ直接顔を合わせて人に真相を伝えて、その場でその人を救えるようにしていきます。
 
 三つのことを同時にしっかり行う中で、自分を向上させ、自分をしっかり修める、これこそ、法を正す時期の大法弟子の修煉の道のりです。これは、いかなる修煉とも異なります。ただ、法を正す時期の修煉が終わらなければ、私たちはずっとこうやって行うべきです。もし、私たちが三つのことを行うことをやめてしまえば、実は法を正す時期の修煉を放棄したことに等しいのです。
 
 以上は個人の体験であり、次元に限りがあります。不足部分については、同修の慈悲なるご叱正をお願いします。 
 
2010年12月24日


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