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法に従って心を修め、着実に実行する(二)


文/四川省の大法弟子

(明慧日本)私は皆さんが読んでいる『転法輪』を読み始めました。読めば読むほど、心が楽になり、頭も軽やかになりました。他の本を読むときとは全く違う印象を覚えました。修煉を始めた当時の私は、『転法輪』は衆生を救い済度する宇宙大法だとは知る由もありませんでしたが、一回読んだら、二回も、三回も読みたくなり、何回読んでも飽きません。『転法輪』こそ、正法だと思いました。この法を読んでいくうちに、身体が浄化され、大法の法理が私の歪んだ考え方を解体できるとは思いもよらなかったのです。そして、私の全ての悩みや苦痛は徐々に平和と安らぎの心に変化しました。
 
  それ以来、私は本当に大法から離れられなくなりました。当時、自分の商売以外は、暇さえあれば、店か家で『転法輪』を写しました。母は字が読めないので、母のために一文字ずつ教えながら、書き写しました。
 
  いつのまにか、自分の持病も忘れ、薬を服用せずとも身体は日増しに健康になりました。空飛ぶ燕のように軽やかで、心は穏やかになり、食事も美味しく、胃のむかつきもなく、頭も軽くなりました。しかし、長い間、師父が説かれた佛を修める、道を修める法理をはっきりと理解することができませんでした。ただ、全人類がこの法を学べば、人類社会の道徳をかなり高い水準に保つことができ、人心を制御できないというような悪循環には陥らないと思いました。
 
  もし、大法に巡り会えていなかったなら、言うまでもなく、私の身体は、悪循環に陥るだけで、考え方もどん底まで堕落していたでしょう。なぜならば、今の時代は、道徳の最低ラインが崩壊し、物欲にあふれた拝金主義の時代だからです。すでに、自分の魂はこの汚濁の浮世でさまよい、途方に暮れていたからです。大法だけが私の身と心を一体化させ、本当の自分に戻すことを可能にしてくれました。いまの自分の魂は、ここまで純粋で美しく、家庭も温かさを取り戻し、世間のめまぐるしい変化にも穏やかに対応できるようになりました。
 
  徐々に、「真、善、忍」の法理に照らし合わせて自分の行動を律することができるようになりました。些細なことから始め、トラブルが生じた時には、まず「善」を思い出し、人ともめそうになった時には「真、善、忍」を思い浮かべます。例えば、お釜の中に、炊きたてのご飯と残飯があった時には、進んで残飯を先に食べ、買い物をする際には、あれこれと選ばず計算もしません。逆にお店の人に「正確に目方を量り、納得のいく値段を付けて客を満足させ、自分も損をしなければ、天が守ってくれるはずです」と教えます。
 
  迷いの中で、世人が早く救われるために、大法が衆生を救う福音であることを伝えます。病におかされた人を見た時、本能的に真相を話します。拒否された場合は、その病人の家族に真相を書いた手紙を持たせ、「三退」の声明を外に貼りだし、公開するように教えます。実行した人たちは、病状がある程度緩和され、回復したケースもあります。
 
  病気治療のために十何万も費やした人が無事に退院できたことを知った時、私は嬉しくて涙を流しました。しかし、真相を聞き入れない肉親のために遺憾の涙を流します。大法に救い済度された生命のために、安堵の胸をなでおろし、選択する機会さえ与えられずに、命を失った人のために胸を痛めます。逝った人はいつになれば機縁が訪れるのでしょうか? それらの命の行方はどこにあるでしょうか? 私は真相を世人に伝えるときにこう話します。「法輪功を修煉している人から、『真善忍は素晴らしい、法輪大法は素晴らしい』としっかり覚えていれば、天災や病苦から逃れることができると教わりました。救われる術を教えてくれたのです。危機が到来したとき、一念で生と死が分かれます。この秘訣はどんなに大切なものでしょう!」と話します。
 
 (続く) 
 
2010年12月28日

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