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妻と娘を助けてください(写真)

(明慧日本)今日はクリスマスイブです。しかし私は妻と娘のことを思いながら、一人寂しく悲しく過ごすしかないのです。
 
劉風萍さん
王丹さん

  妻は45歳で、劉風萍と言います。私たちは結婚して20年以上経ちました。妻は幼いころから孤児になり、お姉さんの家に身を寄せていました。幼いときからの貧しく不幸な生活で弱々しい体になってしまいました。結婚してから、妻は重い胆嚢炎を患い、いつも胸に重いもので圧迫されると訴えました。時々家事もできず、毎日辛い顔をしていました。私はタバコ、お酒、麻雀が好きで、いつも夫婦喧嘩ばかりしていました。妻は生活の重圧と病気の苦しみで何度も自殺を図ろうとしました。
 
  1998年の秋、妻は法輪功の修煉を始め、生まれ変わったように、病気が快方に向かい、性格も明るくなり、生活にも自信がつきました。家事も一人でやり切り、私にも優しく接してくれました。
 
  しかし、その幸せの日々は長く続きませんでした。1999年7.20から、中共(中国共産党)は法輪功に対して誹謗中傷を行い、法輪功修煉者への迫害が始まりました。妻は法輪功から恩恵を受けたので、法輪功の真相がよくわかっています。妻はその弾圧に屈せず、政府に法輪功の真実を伝えようと北京に行くことを決めました。
 
  妻は2000年6月26日、北京の「信訪弁」(陳情するための政府機関)に行こうとしましたが、その政府機関がなくなったそうです。妻は法輪功の素晴らしさを伝えたい気持ちいっぱいで、天安門広場で煉功しました。そのため、警官に連行されて地元の留置場に入れられました。妻は留置場で59日拘禁され、5000元をゆすり取られてから釈放されました。
 
  妻は私の母ととても仲が良く、親孝行をしていました。その嫁が留置場に拘禁されたことで、母はひどいショックを受け、倒れて数カ月後に亡くなってしまいました。
 
  2003年12月1日、妻は人々に中共が法輪功修煉者に対して行っている迫害の真実を伝えるため、カ南県という地方でチラシを配りました。このチラシ配布が理由で、警官に不法に連行され、カ南県留置場に入れられました。その後、警官らは妻に手錠をかけたまま、我が家に連れてきて、家宅捜索を行い、法輪功の関連書籍やDVDなどを没収しました。娘は懸命に妻を連れ去ることを阻止しましたが、「お前も一緒に連れて行くぞ」と警官に恐喝されました。妻は留置場で6カ月迫害を受けて釈放されました。
 
  その年、娘は16歳で、高校生でした。妻が法輪功修煉者だという理由で、派出所の警官は娘が通学している県の高校に何度も娘に嫌がらせをしに来ました。娘は嫌がらせを避けるため、退学しました。学校の先生は成績が優秀な娘に何度も電話をかけてきて、学校へ来るように勧めましたが、娘は最終的に退学を選択し、16歳でパソコンの学校でアルバイトを始めました。
 
  2010年12月13日、妻と娘が親戚の家を訪ねて行きましたが、お昼ごろから2人と連絡が取れなくなりました。数日後、2人は警官に連行され、カ川県留置場に拘禁されていることを知りました。
 
  私は早速16日に、親戚と一緒にカ川県公安局を尋ねましたが、公安局側は妻と娘の状況を一切教えてくれず、妻と娘のことをとても心配している私は、面会を強く求めましたが、断られました。
 
  しかたがなく、私たちは責任者の董洪生に会いに行きました。董洪生は私たちを見て、たくさんの警官を呼んできて、私たちのことをビデオに撮り、私たちに対して粗暴な態度で恐喝し、私を連行しようとしました。精神的に弱い私は怖くて、「人民の警官」に失望しました。
 
  もうすぐ新年ですが、一家は団らんができません。妻と娘のことを思うと心が痛くて、とても悲しく感じます。善良な人々よ、あなたたちの正義の手を貸してください。私と同じ遭遇の家庭のため、人間の悲劇を無くすため、中国で発生している法輪功への迫害を制止しましょう!
 
2011年01月03日

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