日本明慧
■印刷版   

「内を修めて外を安定させる」に対する私の悟り


文/中国の大法弟子

(明慧日本)師父が説法してくださった法理は内包が深いと、私は感じています。それでは、私の次元で悟った法理、わずかな認識ですが、同修と交流したいと思います。
 
 「内を修めて外を安定させる」という法理は、大法弟子が正法修煉の道を正しく歩むことに現れています。私は十数年の嵐のような中で、受けるべきではない迫害を数回受けました。その原因は、自分の修煉を緩め、あるいは長期にわたり執着心を取り除いておらず、それが旧勢力に付け入る隙を与え、迫害される口実となったのです。明慧ネットに掲載された迫害の事例で分かるように、多くは自分自身の修煉を重視しないことによって迫害されています。もちろん、私たちは旧勢力を認めていませんが、私たちは自分の修煉を緩めば、修煉の中で巨大な正念と功能ができておらず、旧勢力の迫害を否定することもできません。旧勢力は私たちの正念に取り除かれるまで、客観的に存在し、虎視眈々としています。ですから修煉の道を正しく歩むと思えば、まず自分の修煉を良くしなければなりません。別の角度から言えば、私たちは修煉に来たのですから、修煉の目的は円満成就することであり、もし私たちは円満成就することができなければ、何のために修煉するのでしょうか? 私たちが救った衆生はどこへ行くのでしょうか?
 
 私は3度労働教養所に入れられ、迫害を受けました。そのときは常人の方法で迫害を止めさせようとしましたが、できませんでした。なぜできなかったのでしょうか? それは人が人を迫害しているのではなく、他空間の旧勢力が人を利用して大法弟子を迫害しているのです。常人の方法で邪悪生命に勝つことができません。3度目に迫害されていたとき、同修の手助けにより、私はしっかりと学法して、発正念を行いました。その結果、迫害が最も厳しいとき、私は正々堂々と邪悪のアジトから出ることができました。
 
 「内を修めて外を安定させる」という法理は、仕事にも現れます。私は商売しています。何回も体験したのですが、三つのことをしっかりとできたときは、商売はとても繁盛し、そうでないときは、商売がうまく行かず、常人の方法で商売を繁盛させようとしましたが、効果がありませんでした。私たちは修煉者なので、すべては大法が与えてくださいます。修煉をおろそかにすれば、大法から与えられるものも少なくなります。師父は私たちの巨大な業力と苦難を背負ってくださいました。私たちは三つのことを行うのは、自分のためであり、自分の円満成就のために行っています。私たちが三つのことをしっかり行えなければ、正の神々に認められず、それで福を受け賜ることができるでしょうか? 私たちは三つのことをよく行えば、衆生は救われ、その衆生たちは救われた恩を感謝することによって、私たちの商売が繁盛するのです(もちろん私たちは商売繁盛のために衆生を救っているのではありません)。
 
 「内を修めて外を安定させる」という法理は、技術担当の同修の修煉にも現れています。明慧ネットに掲載された技術担当の同修の修煉体験からも読み取れるのですが、機械を修理する前に、まず自分の修煉を修理しなければなりません。機械を修理する同修は、自分の修煉がよくできていれば、機械を修理するに当たり容易になります。それに比べ、常人の観念、常人の技術で機械を修煉するのであれば難しいのです。だから、技術を担当する同修は自身の修煉に注意してください。
 
 以上は、私の次元での浅はかな悟りです。同修の皆さんは更なるよい経験と悟りを交流されることを希望します。それによって共に向上し、師父の慈悲なる済度に感謝することになります。 
 
2011年01月08日

■関連文章
法の中で自分を浄化する(三)
しっかり学法することについて
しっかり学法して、執着を取り除く(一)
修煉における不足を理性的に分析する(一)
グループ学法を通じて、難関を2回も乗り越えられた
学法に集中できず形式的に陥りやすい原因を探す
身近にいる大法の子供弟子をもっと気にかけよう(一)
他の空間で見た光景
邪悪を取り除き、修煉の道を正しく歩む
法をよく学び、すべきことをしっかり行う(一)