■日本明慧 http://jp.minghui.org/2011/01/08/mh091281.html 



無戸籍者にされた、ある法輪功修煉者の遭遇(一)

(明慧日本)元中国電力科学院博士課程に在籍していた鄭旭軍さんは国家電力科学技術進歩賞の受賞者である。法輪功への信仰を放棄することを中共に強いられたが、従わなかったため2000年11月に中国電力科学院を退学させられ、更に中国電力科学院の中共関係者によって戸籍を剥奪された。その結果、鄭さんは中国でどこにも登録されない、所属していない「無戸籍者」になった。鄭さんはかつて2回にわたり北京市団河労働教養所と悪名高い瀋陽の馬三家労働教養所に監禁されさまざまな迫害を受け尽くした。
 
  鄭旭軍さんは住所・戸籍のない「無戸籍者」になった
 
  2000年11月は、本来ならば鄭さんの博士論文研究の最後の発表の時期のはずだった。発表が終わると博士号を順調に取れるところだった。しかし、中国電力科学院は博士論文の発表と審議を拒否した。これによって、鄭さんは学位を取ることができなくなった。
 
  その後、中国電力科学院は鄭さんの戸籍謄本が管理されている北京市中関村海淀区公安支局に働きかけ、電力科学院の上層部から命令があるとして公安支局を騙して鄭さんの戸籍謄本を破棄させた。その直後、中国電力科学院の保衛科と共産党委員会は北京で破棄された鄭さんの戸籍謄本を持って実家を訪れ、中共の関係者を通じて鄭さんを「反革命分子」と名付け、地元の党委員会と結託をしてまるで文化大革命時代に再び戻ったかのように鄭さんに対する「批判大会」を開いた。その後、鄭さんは事実上、住所、戸籍のない人となり、行き場所を失い路頭に迷った。一人の国民がこうして中共によって人として生きていく基本的権利を奪われた。
 
  10年にわたって、鄭さんは身分証明書もなく、戸籍もなく、所属もなくなり、仕事に就くことができない。この事件にかかわった「610弁公室」の関係者すら鄭さんに対して中国電力科学院のやり方があまりにもひどいと同情したことがある。北京の西三旗に所属する「610弁公室」の職員が、中国電力科学院に出向いて鄭さんの学籍の復学を求めたが、中国電力科学院の中共委員会に拒否されたという。
 
  国家電力科学技術進歩賞の受賞者の遭遇
 
  鄭さんは福州大学を卒業。1996年に国家電力部所属電力科学院の修士課程に合格し、3年で修士号を取得した。その後直ちに博士課程へ進み博士論文の研究を始めた。その研究が非常に優れていたため国家電力部科学技術進歩賞を受賞し、優秀な人材として1999年1月イギリスのリバプール大学へ国費留学生として派遣された。
 
  しかし、1999年7.20から中共の江沢民元主席の指示に基づいて法輪功への迫害が始まった。その時、鄭さんはイギリスから北京に戻っていた。直ちに政府側に法輪功は決して中共のマスコミで報道されているようなものではなく、これは法輪功に対する中傷であり、陰謀であることを自らの修煉経験を通して訴えたが、公安出張所に連行され監禁された。2000年の初、かつての修煉仲間に手紙を書いたという理由で強制連行された。同年末、中国電力科学院は一方的に鄭さんの学籍の記録を破棄した。
 
  2001年鄭さんが法輪功の真相資料を人々に配っているとき、中共の関係者によって連行された。さらに北京市の大興公安局の警官らが彼の自宅に侵入し家宅捜査を強行した。家宅捜査で鄭さんの個人財産である衣服類、カメラ、ノートパソコン、学位証明書などを奪い去った。連行された鄭さんは殺人犯を収容する重犯罪者を扱う施設に移送され監禁された。間もなく鄭さんは北京市法制トレーニングセンターに移送され半年間洗脳を強要された。半年間にわたる非人道的扱いによって、鄭さんの髪の毛は長く伸びて別人のようになった。事前に用意した「修煉をやめる」という保証書にサインさせるため、鄭さんは1人で狭い独房に入られて外部から完全に遮断された光のない闇の中で24時間にわたり照明にあてられ武装警察の24時間監視下でサインを要求された。しかし、鄭さんは依然として自分が良心に背くことはできないとしてサインを断った。すると鄭さんに時々ほかの独房に監禁されている法輪功修煉者が警官らに打たれて耐えられないときに出すうめき声を聞かせて、精神的に大きなダメージを与えた。
 
  中共の関係者は鄭さんの精神を崩壊させようと様々な手口を使い尽くしたが、鄭さんの法輪功に対する信仰は簡単に曲げられるものではなかった。人が真理を知った後、その真理のために邪悪に屈せず、真理のために命を惜しまない人も大勢いるのである。しかし、中共は証拠もないまま鄭さんに懲役1年6ヶ月の不当な判決を言い渡した。北京市法制トレーニングセンターに半年間監禁した期間を計算しなかったので、事実上鄭さんは2年以上監禁されたことになる。2004年に鄭さんは釈放された。
 
 (つづく) 
 
2011年01月08日


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