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黒竜江省双城市:法輪功修煉者が受けた数々の迫害

(明慧日本)黒竜江省双城市韓甸鎮の法輪功修煉者・唐先成さんは、法輪功の修煉を続けているとして、数年来、中国共産党の警官に連行、拘禁され、労働教養を強いられ、拷問などの迫害を受けた。
 
  唐さんは、1997年に法輪功の修煉を始めた。
 
  1999年7.20、中国共産党が法輪功への迫害を始めた後、唐さんは法律に基づいて、拘禁されている法輪功修煉者を無罪で釈放することを省政府へ求めたが、当日に留置場に連行された。
 
  2000年8月16日、唐さんは双城市の公安局に連行され、拘禁されていた期間中、何度も尋問、恐喝された。家に帰ってきた後も監視され続けた。
 
  2001年5月16日、唐さんと他の30数人の法輪功修煉者は拉林河で、韓甸鎮政府・趙洪生、610弁公室・孫継華、李柱らに連行された。警官・随広成は唐さんの顔にビンタをくらわせた。政府関係者・蔡春雨は棍棒を使って唐さんを殴り、棍棒が何度も折れた。李柱は太い棒で唐さんを殴ったので、唐さんの背中に傷口ができて、服をぼろぼろに引き裂かれた。
 
  唐さんと他の法輪功修煉者は双城市の第1留置場に連行され、死刑囚の部屋に監禁された。唐さんは44日間監禁され、400元をゆすり取られてから釈放された。留置場の環境は極めて悪く、食事はなおさら劣悪で、トウモロコシの蒸しパンは黒く、汁の中にほとんど野菜や油もなくて、底には泥が沈んでいた。大小便はすべてバケツの中にさせるので、窒息させてしまうほどの臭いが漂っている。双城市の法輪功修煉者・張生範さんはここで迫害され死亡した。
 
  2002年4月19日晩、孫継華、李柱及び派出所の警官らは家のドアを壊して侵入し、唐さんを強行連行しようとしたので、子供はショックを受けて泣き出した。唐さんが抗議をするため、警官らは殴ったり蹴ったりしながら唐さんを車に押し込んで、靴も履かないまま韓甸派出所へ連行し、鉄の管に手錠でつないだ。翌日、唐さんは双城市の第2留置場まで連行された。この期間中、青嶺の法輪功修煉者・呉宝旺さんが迫害されて死亡した。
 
  2002年6月、唐さんは2年の労働教養を強いられ、黒竜江省の万家労働教養所へ送られたが、唐さんの全身に疥癬がいっぱいで、膿が流れて出血しているため、身体検査で条件を満たさず断られた。彼らは唐さんを双城市第2留置場に戻した。1カ月後に、別のルートで唐さんを万家労働教養所の集訓隊へ入れた。労働教養所はすぐ唐さんに「三書」を書くように強制したが、唐さんは頑として応じなかった。
 
  警官は法輪功修煉者たちに労役を強制して、睡眠を奪っている。唐さんはベッドで寝ることを許されず、湿っぽいコンクリート地面で寝ることしかできず、虫がとても多く、布団の中に潜り込むので、朝起きると靴の中にも虫がいる。掛け布団は1階の湿っぽい貯蔵室に置かれている。
 
  1週間後の2002年8月1日、唐さんは万家労働教養所の集訓隊からハルビン市の長林子労働教養所1大隊へ移送された。ここで、法輪功修煉者は常に監視され、話すことや、目を閉じることさえできず、毎日洗脳され、大法を中傷するものを強制的に見せられた。
 
  2002年9月、唐さんと他の20数人の法輪功修煉者は最も悪辣な5大隊に移送された。労働教養所は最も極悪な受刑者をここに配置して、もっぱら法輪功修煉者を迫害させた。この5大隊に入って、隊長はすぐ法輪功修煉者に保証書を書くように強制し、書かないと暴力を振るい、スタンガンで電気ショックを与え、全身に水をかけて、数本のスタンガンで同時に電気ショックを与え、痛ましい叫び声が響いた。閉じ込められて鉄の椅子に座らされた修煉者もいた。唐さんはずっとしゃがむ姿勢を強制され、夜12時にやっと眠ることを許され、午前5時に起きて引き続きしゃがまされ、少しでも動くと殴られた。耐えられなかったらベッドの上で「大」の字に吊るされた。当時、5大隊の大隊長・趙爽、教導員・楊宇がいた。
 
  警官は受刑者に指示して、法輪功修煉者の背中、頭を針で刺したり、指に針をうち付けたりした。修煉者は体中傷だらけになった。唐さんの足はひどく腫れて自由に動かせなかったが、さらに殴られた。法輪功修煉者の個人の物はしょっちゅう受刑者に奪い取られ、毎日このように精神と肉体の苦しみの中で過ごしている。
 
  唐さんは転々と場所を変えられ、各種の労役をさせられた。4大隊ではごみの分別をさせられ、ノルマを達成できなければ殴られて罵られた。 
 
2011年01月08日


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