日本明慧
■印刷版   

慈悲なる師父が、半身不随の私を救ってくださった

(明慧日本)43歳の私は、2006年12月に法輪功の修煉を始めました。当時の私は、半身不随で死を待つしかありませんでしたが、李洪志師父が私を救ってくださいました。
 
 以前の私は、脳出血をおこして危篤に陥り、病院に搬送されて手術を受けました。一命は取りとめましたが、ひどい後遺症で、目があまり見えなくなり、話もできませんでした。頭だけはしっかりしていましたが、全身マヒ状態で自立は不可能でした。退院したあと十数万元も費やして治療しましたが、何一つとして効果はありませんでした。1年あまり寝たきりの状態で、ますます悪化し、死を待つしかありませんでした。
 
 こんな不幸の中でも、共に法輪功を修煉している両親がいました。ある日、見舞いに来た母は私の様子を見て、「法輪功をやってみませんか?」と聞き、私はうなずきました。夫は、私を実家の両親のもとに送ってくれました。
 
 右半身の感覚を失ったため、足も萎縮してしまい、煉功ができませんでした。母はそんな私に、師父の『済南での講法の録音』を聞かせてくれました。すると3日間で右半身の感覚が戻り、足に痛みを感じるようになりました。母は「これで希望が見えました! 師父はあなたを救ってくださいますよ! ここに泊まって、私たちと一緒に煉功しましょう」と言いました。それから続けて録音を聞き、3日間で全部聞き終わりました。
 
 こうして3カ月間、講法の録音を聞き続けると、座れるようになりました。そこで、母は私に煉功を教え始めました。まだしっかり座れないので、周りに布団を置き、体を固定して煉功をしていました。すると、2カ月ぐらいして座れるようになりました。それから、母は座禅を教えてくれて、最初は半跏趺坐(片足を上げて組む)から始めました。
 
 2007年5月のある日、母から「今日は師父のお誕生日です。あなたは絶対に結跏趺坐(両足を上げて組む)をしてみて」と言いました。私は歯を食いしばってやってみると、一気に組めるようになりました。痛くて辛かったのですが、とても嬉しいことでした。師父は私の消業を見守ってくださっていると感じました。
 
 しばらくして、目も見えるようになり、話もできるようになりました。しかし、本を読むのはまだ難しかったので、母について少しずつ読みました。こうして、1カ月で『転法輪』を2回読み終わりましたが、母の口の中の状態が悪くなってしまいました。母は「これは師父の啓示かもしれない。この読み方をやめましょう」と言いました。「それなら、私は自分でゆっくり読んでみよう」と決意しました。翌日、母の口はすぐ治りました。
 
 それ以来、私は自分で本を読むようにしました。初めのころは読むスピードも遅いし、発音もはっきりせず、目もよく見えないので、毎日2段落ぐらいしか読めませんでした。そんな時、母は「続ければ必ず奇跡が起きますよ!」と励ましてくれました。私は毎日、学法と煉功を続けました。そして、本当に奇跡が起きました。今の私は本を普通に読めますし、しっかり話すことができます。強度の近視ですが、メガネなしでもはっきり字が見え、1週間に1回『転法輪』を読み終えることができます。
 
 現在、私は毎日両親と一緒に朝に煉功して、第二式、第三式の功法の時はベッドを支えにして立って行ない、座禅は1時間半もできます。午前中は両親と一緒に『転法輪』を読み、午後は自分で他の講法を読み、1日に5時間学法します。学法と煉功を通じて、考え方も明るくなり、体にも大きな変化が現れました。今は車いすを押して歩けますし、階段も上れます。ご飯も自分で食べることができます。このような変化が起きたのは、すべて慈悲なる師父のおかげです。師父が私を救ってくださいました。
 
 病で倒れた時は、天が私を見放したと思い、毎日毎日涙を流すばかりでした。今、学法してから分かったのは、天こそ最大の公平を私に与えてくださいました。「実は、人類社会の理は宇宙の中で逆になっています。人間が難に遭い、苦しみを味わうのは業を返し、幸せな未来を得られるようにするためです」(『最後になればなるほど、精進すべき』)
 
 これから私はもっと学法して、もっと精進して、いろいろな欲望や執着心を取り除き、師父に従って、真の修煉者になりたいです。
 
2011年01月13日

■関連文章
手術で入れ込んだボルトが体内から自然排出(写真)
死にかかった娘が、師父の助けにより生き返った
大法の奇跡は至る所にある
正念を持って、正しく行い、しっかり師父についていく
師父の慈悲なる済度に背いてはならない
15歳の学生が学法を堅持して体験したこと
麦の苗が凍死しても収穫は減らず
年配の同修の学法について
足が「ボキ!」という音がした後(二)
どのように同修の手助けをすればいいのか