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感想


文/中国の大法弟子

(明慧日本)数日前、あるウェブサイトで、大法弟子が書いた文章を読みました。文章には、自分は漢時代のある皇帝の息子、すなわち何々王であった可能性があると触れていました。本当に修煉する大法弟子は同じような状況にあう可能性があり、多かれ少なかれ自分の以前のことを知っています。しかし、みなさんに考えてほしいのは、あなたが知った一部の情報は、私たちの修煉を妨害する可能性があるということです。
 
 なぜなら、修煉の中でいろいろな複雑な状況が非常に多いからです。例えば、同じことに対して、生命ごとにそのことに対する理解が異なります。そして、修煉者として、そのことを知ったら、修煉の自信を固める人もいれば、その情報に邪魔されて、歓喜心、後悔心が生まれ、怒ったりして、ひいては自分でもおかしいと思う執着心に邪魔されて、修煉に集中できず、精進しにくくなるかもしれません。ですから、大法に照らして、法を持ってすべてを量ることが非常に重要です。
 
 なぜなら、修煉は複雑であり、法を正すことを例にすると、多くの人は現在社会の状況について、さまざまな考え方を持っているかもしれません。例えば、1999年4.25に中南海に行かなかったら、どうか。もし、私たちがじっと我慢していたら、現在の中共の状態はどうか。ひいては常人の中には、あなたたちの師父は大きな能力を持っているのに、なぜこうこうしないのか、などと言う常人もいます。また、多くの人は常人の観念に基づく疑問を持っていますが、一部の人はただ面子のため、言い出していないだけかも知れません。
 
 実は、もし本当にこれらの問題の解答を得ようとするには、時間をかけて、『精進要旨』や、師父の1999年以来のすべての説法を、心を静めて繰り返して何度か学べば、あなたの修煉者としての神の一面が作用を果たし、人間の分かっている一面が分かってきます。
 
 元の話に戻ると、つまりこの文章の最初に書いた問題ですが、いろいろな情報による邪魔に対して、天目で何かを見たとか、夢で何かを見たとか、誰それがなんと言ってくれた、などに対して、私たちがいかに修煉するかという問題です。やはり学法を多くし、法を持ってすべてを量り、邪魔を取り除き、修煉に精進しないといけません。みな智慧と理知を持っていますが、この智慧は学法と正しく悟ることに多く使い、常人の迷いの中にもぐり込んではいけません。
 
 以上、個人のわずかな考えであり、みなさんと共に精進するために書きました。適切でないところについては、ご指摘ください。
 
 旧暦のお正月が到来しようとしています。中国本土の大法弟子から、師父への真摯な挨拶と限りない気持ちと祝福を、どうぞお伝えください。
 
2011年01月13日

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