修煉の道で人を救うことを銘記すべき(二) 文/山東省の大法弟子
(明慧日本)私はどこへ行っても正念と善良をそこに残して、いかなる機縁も見逃したくありません。すれ違った人には私の笑みと善意を相手に残して、後で再会する時に相手も見覚えがあると感じます。私は「私たちは縁がある、あなたは運がよい人」と話し出します。それから、私は真相を伝え、相手の心の中の迷いに回答させてもらいます。相手が三退を求めるまで伝えて、法輪大法のお守りをあげます。最後に相手が自分の親友たちにも、法輪大法はすばらしいと唱えることで、災難がやってくるとき全部救われることを伝えるように話します。
私と夫は実家に行く前、縁がある人が真相を知ることを妨害するすべての要素を取り除いて、悪党から脱退して救われるように師父に加持を求めました。私が実家に着いたとき、十数人の親戚はみな家にいて、私はよいチャンスだと思いました。私は師父に知恵を願い、身近に発生した大法の不思議な話をしました。近所に70歳すぎのAさんと言う人がいて、法輪功を修煉してから健康を取り戻しました。その人が退職手続きを行うとき、総務部の人がAさんの名前を呼んびました。そうしたら総務の人が「あなたはお呼びしていません。Aさんは71歳のご老人です」と話しました。それでAさんは、自分がそうだと言いました。総務部の人は驚きながら、「50歳ぐらいにしか見えませんでした、失礼しました」と言いました。Aさんはかつて、2回も車にぶつかったことがありましたが、何の傷も残っていません。運転手に「帰っても大丈夫ですよ。私は法輪功修煉者です」と話しました。その後、神韻公演の済公和尚の物語も話すと、相手の運転手は大法が素晴らしいと認めて三退もしました。その後、お守りもあげて、法輪大法は素晴らしい、真善忍は素晴らしいと心をこめて唱えるように告げました。
私の姉の息子は今年48歳で、ずっと大法が素晴らしいと認めていますが、大法の修煉には入ってきませんでした。ある日、元気がなく、足も腫れて病院に行って診ましたが、何の病気か分かりませんでした。私は、彼と一緒に煉功して学法するようにしました。彼は『転法輪』を毎日1講読んで、5日目に喜んで私に「おばさん、腫れが引いて、体も元気になりました」と話しました。6日目にはまた私に感激しながら話しました。「昼食のとき、油を入れた釜をガス焜炉に置いたことをすっかり忘れて、他のことをやりました。結果、油釜に火がついて、火が天井まで上りました。天井はアシで編んでありましたが火事にはなりませんでした。今考えたら本当に怖いです。私は習ったばかりですが、師父は私を見守ってくださいました。なぜ世界でこんなに多くの人が法輪功をやっているか分かりました。私は師父がおっしゃった通りに行って、師父に恩返しします」
三、耐え難いことに耐えて人を救う
夫の家族は1999年7.20以前は、大法を非常に支持していましたが、7.20以降は悪党の虚言による宣伝を信じ、私の修煉に反対しました。夫の家族は集まるたびに、私のことを馬鹿にして、人格を傷つけました。私は、大法弟子であることを常に唱え、笑って乗り越えました。彼らが私を馬鹿だと話したら、私は馬鹿は業を作らないと話しました。
ある日、夫の二人の妹は、夫の両親の前で「この数年、兄さんが稼いできたお金をどこに使いましたか」と追及しました。私は涙がぱっと流れ出ました。このとき、師父は金色の「真善忍」の三文字を私の目の前に表してくださり、師父の説法が頭の中に浮かびました。「今後煉功する際、さまざまな苦難に遭うでしょう。それらの苦難がなければ、修煉がどうやってできるでしょうか?誰もが和気藹々(あいあい)としており、利益についての衝突や心が乱されることもなく、ただそこに坐っているだけで、心性が高まることになるでしょうか? そんなことはまずありえません。人間は実践の中で本当に自分を錬磨しないかぎり、向上することはありえません」(『転法輪』)
(続く)
2011年01月14日
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