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観念を変え協調をしっかり行う(一)


文/中国の大法弟子・羽昕

(明慧日本)私は、1997年に法輪大法を学び始めました。1999年、中国共産党が法輪功を迫害し始めたころ、子供の面倒を見るために引っ越しました。地元で知り合った同修はとても少なく、狭い範囲で法を実証することを続け、十分だと思っていました。ほかの地域の協調人との交流の中で、「自分がしている事にだけ没頭するという修煉状態に満足してはなりません。あなたたちの地域では前から全体を形成していません。誰かが協調の責任を負わなくてはなりません」と指摘されました。私もこの問題に気づいていましたが、圧力が大きく、障碍が多いと感じていました。海岸沿いの開発地域で、ほかの地域の同修の出入りが激しく、地元の同修が住んでいる所も分からず、連絡することが困難で、なかなか集まることができませんでした。
 
 一、観念を変える
 
 ある日、地域の協調人の交流に参加しました。ほかの地域の協調はうまく進んでいて、全体がしっかりと向上していることを学びました。しかし、私が協調人をやりたくないという観念が生まれたのは、ある事件がきっかけでした。交流の日、3人の協調人が来ました。1人は数日前に協調人をやめさせられて、今の協調人と距離を置いています。ほかの地域の協調人に納得させたくて来ました。当時、この同修の発言と態度・闘争心・自分を実証する心を見て、理解できませんでした。すべき事をすればよいのに、なぜ協調人と争うのかと思いました。
 
 家に帰った後、なぜこの出来事で落ち着かないのか分かりませんでした。修煉の中で偶然な事はないと師父はおっしゃた事があります。私が目にしたのなら、それは自分の修煉と関係があるに違いなく、これは師父の啓示だと分かりました。人心を持って同修を見てはなりません。私とこの同修の問題に対する見方は大きく異なります。その同修は、私が協調をやりたくないという心のために現れたと感じました。同修が衆生に責任を負い、全体のために心を尽くしているのに、私はそれに全くかなっていません。しかし、自分がうまく協調できる希望が見えました。私は大法の一粒子で、師父がおられ、法があり、同修がいます。衆生に責任を負うべきです。これもそれぞれの大法弟子に対する師父の要求です。
 
 二、全体での学法
 
 全体を形成するために、ほかの地域の同修に交流に来てもらう前、私はあちこちに行き、状態はどうあれ知っている同修を探して参加させました。まず、師父が私たちに残された全体学法の修煉形式に従い、ほかの地域の経験を学びました。はじめは2、3人がそれぞれ学法グループを形成し、学法するところが見つからない同修や、いろいろな原因で出てきていない同修が参加するようしました。こうして、グループが十数人になったら分けました。協調を通じて、ほかの地域へ学法に行く同修を呼び戻し、遠いところの同修も呼びました。短時間で十数人の学法グループを結成し、各グループの責任者が交流し、問題があったら、すぐに対処し、法理で向上するようにしています。
 
 (続く) 
 
2011年01月16日

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