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神韻公演で見た不思議な体験とチケット販売について


文/西洋人の大法弟子

(明慧日本)最近、神韻公演を観て、神秘的な体験をしました。これについて同修の皆さんと交流し、共に精進して、神韻の活動を通して一丸となるように努力しましょう。
 
 私はニューヨーク州ウェストチェスターで上演された神韻を鑑賞したとき、常人にとって神韻は、当初、師父が中国本土で開催された九日間の講習会のようではないかと思いました。もちろん比べることはできませんが、ある程度似ていると感じました。神韻を観ているとき、劇場でたくさんの師父の法身と法輪が観客の身体を浄化されている光景を目にしました。公演の中の正の要素を多く受け入れるほど、体もきれいに浄化されます。
 
 師父の法身と正神たちは、人々の頭の中の観念がどのぐらい受け入れることできるかを見ていらっしゃいました。多くの人の未来は徹底的に変えられました。神韻を友人や家族に紹介する人は将来の神になれることも見ました。それに対して、劇場の強いエネルギーに耐えられず、途中で退場する人もいました。他空間の光景は言葉で表現しきれない、とても神秘的なものでした。
 
 もう一つ皆さんと交流したいのは、なぜ我々はすべての公演の神韻チケットを完売できないのでしょうか? 一緒に考えてみましょう。ニューヨークでは1日平均1千万人の人がいるのに対してチケットの売り上げは大体1万6千枚です。なぜ端数の人間も救えないのでしょうか?
 
 ある程度の困難は、地域内の学習者の神韻に対する観念から生じたと私は思います。例えばチケットの値段が高すぎるとか、枚数が多すぎるとか、中国舞踊が好きではないかもしれないとか、それに自分が衆生済度にふさわしくない、神韻の宣伝にふさわしくない等々。これらの良くない念は、旧勢力が妨害する最大の口実を設けてしまうので、すべて取り除くべきです。
 
 私は、たくさんの旧い神が我々のこのような念の存在する空間に隠れているのが見えました。彼らもこのような念がはっきり見え、取り除くべきだと思っています。旧宇宙の理で、それは理屈に合うことですが、このような念があっては、正の佛道神が束縛され、何もできなくなります。
 
 自分にはそのような良くない念はない、と言うかもしれませんが、本当にそうでしょうか? 我々は本当に内に向かって探しましたか? 自分たちは気づきませんが、旧勢力にははっきり分かっています。神韻に対する良くない念は今、すべて取り除くべきではないでしょうか。
 
 多くの学習者は、まだ自分たちの念はどれぐらい力があって、どれぐらいの効果があるかを意識していないと思います。私たち一人ひとりが、自分と連帯する衆生を救う必要があります。しかし、念が良くないとき、旧勢力はこれを口実にして、連帯する衆生を迫害し、妨害します。彼らに公演の広告を見せないとか、忙しくて来られないとか、直前になって病気で倒れさせるなど、あらゆる手口で妨害するのです。
 
 ある学習者は「どうして吹雪による公演への妨害を止めることができないのでしょうか? 大法弟子は神韻を妨害しようとするどんな旧勢力も旧い神も徹底的に排除できるはずなのに、どうしてまだこんな問題が存在するのでしょうか」と言いました。
 
 私は次のように理解しています。一部の大法弟子の発正念は、確かに自分の空間にある不正な要素をすべて取り除くことができます。しかし、発正念に対する認識不足や、状態があまり良くないとか、あるいは積極的に発正念をしていなかった他の一部の学習者の空間に、旧勢力の神が隠れているのが見えます。このような空間には、正念の強い弟子の功は届きません。
 
 「私にはどんな功能もない」と思う学習者もいますが、常人の天気予報を過信しているかもしれません。彼らの能力は皆このような念に制限されてしまい、旧勢力を取り除く能力に妨害を生じさせてしまいました。
 
 人を批判しているわけではなく、私自身にも同じような問題があるからです。衆生を済度することは緊迫していることなので、この問題を暴露して、一人ひとりが真剣に対応すべきだと思います。
 
 最後に皆さんと交流したいのは、私が第5式の功法を煉功するときに得た体験です。たくさんの同修が困難に遭ったり、妨害されたりしている状態だと分かっています。こんな時こそ交流し合い、助け合うことを望みます。
 
 ある日私は、座禅の時に他空間に入りました。その空間でも座禅のままでした。高い次元の旧勢力の神の数人が私のところに来て、自慢そうに飛び回っていました。ただ妨害をしに来たのではなく、私を滅ぼして地獄に落とそうとしていると感じました。私は後退しながら、少し恐怖を感じました。
 
 その中の一人は大声で「あなたは欠点ばかりで、衆生済度にふさわしくない。あれぐらいの試練も乗り越えられなかった」と言いました。それを見て、私は「その通りかもしれませんが、私はあることを知っています」と言いました。「何だ?」と聞かれたので、「李洪志大師がどのお方で、何をされていらっしゃるかを知っています。そして、私が誰かも分かっています!」と答えました。それらの旧勢力の神はこれを聞いて動じたようで、私の目の前に飛んできて、怒った口調で聞きました。「おまえは誰だ?」 私は力をふり絞って立ち上がりました。「私は大法弟子です! 李洪志大師は私の師父です! 師父に手伝って法を正すためにここへ来ました!」
 
 すると、彼らはみな呆然となり、あっという間にすべてが消えてしまいました。その後、大地が揺れ始めて、いたるところにきれいな花が咲き、果てのない空に光が射し、空間全体が絶妙で、和やかになりました。この空間はすでに正されたと私は分かりました。
 
 この経験から、また少し分かりました。私たちは大義を知り、何をするためにここに来たかを知る必要があります。そして、師父に手伝って法を正し、衆生を救い済度するために来たことを明確に認識すべきだと思います。この歴史的な時期は、個人の修煉のためではなく、私たちの修煉に対して旧勢力は何をする資格もありません。師父は私達の修煉を導いてくださり、しかも師父しかできません。今は我々の時代で、旧勢力の時代ではありません! この歴史的な時間を大切にして、できるだけの多くの衆生を救い済度しましょう。
 
 以上は私個人の理解にすぎません。
 
2011年01月17日

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