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内に向けて探せば生死の関門を乗り越えることができる


文/中国の大法弟子

(明慧日本)私は修煉を始める以前、臆病者でトラブルを恐れ、とても頻弱な人でした。修煉してからも、しばらくの間はこの性格が直らず、修煉に影響していました。特に、正法修煉の時期に入ってからは、恐れる心や頻弱さにより、私は修煉の道で迷っていました。最も恐ろしかったことは、私が修煉の道を迷ったことで、常人に大法に対して悪印象を与えてしまい、私の周りにいる同修に与えた影響も大きく、その同修たちは精進から遠ざかってしまいました。これらの悪影響を与えた私の責任は大きく、将来は恐ろしいことが私を待っているはずだと思いました。私は苦痛の中で決めました。これからの自分は生まれ変わり、修煉を再スタートすると。
 
 しかし、修煉は遊びごとではなく、自分が目指すレベルに到達するとは限りません。私は今まで、多くの同修が生死の関門を乗り越えてきた過程を見てきました。しかし、苦しみを嘗め尽くすことができず、道に迷ってしまった同修も見てきました。それでは私自身はどうなのでしょうか? 一方では修煉を頑張らなくてはと思い、一方では修煉に対して自信がないのです。自分はどうして生死を放下できないのでしょうか。家族に対する情をどうして放下できないのでしょうか。なぜ恐れる心を取り除けないのでしょうか。これらの心を放下するのは、私にとってとても難しいことだと思いました。
 
 しかしながら、師父が説法された法理について、私は理解しています。それは、大法弟子がトラブルの出会うときは、内に向けて探すことです。こうすれば、修煉の道で私たちを阻むものはなくなります。私は師父に対して、大法に対して固い信念で信じることによって、確実に修煉して、トラブルに出会ったときは、百パーセント内に向けて探すことを心に決めました。心性の修煉を重視することに加え、絶えず法の暗記を通して、私はすごく速く昇華しているように感じ、毎日変化していくのを感じました。
 
 学法しているとき、法の内包が一つの次元、また一つの次元の法理を現してくださるのです。一つの次元の法理が分かれば、すでに次元が上がっています。ある日、気がつけば、以前、私は恐怖と感じていた死を、恐れなくなりました。それは無理強いしたのではなく、服を一枚脱ぎ捨てたように、生死の念を放下できました。生死を放下するということは、以前の私の理解では、常人の英雄人物のように、何も怖がらないのだと思っていました。今になって分かったのですが、修煉者が生死を放下するということは、心性の向上に伴い、平和的で、とても容易に放下することができるのです。しかし前提があり、それはどんなトラブルに出会っても内に向けて探すことです。
 
 もちろん、生死の念を放下するということは、修煉の終結ではなく、私は多くの観念を取り除いていません。これらの観念は、今後の修煉の中で取り除く必要があります。この文章を書いたのは、私たちは師父の要求されたとおりに行えば、よく学法して、トラブルに出会ったときは無条件で内に向けて探し、すべての執着心を放下できれば、これこそ修煉なのです。そして、私たちは自己を変えたいのであれば、師父が按配してくださった難を乗り越えるのに、それほど難しくなく、私たちの心性さえ高まれば、乗り越えることができるのです。ただ、私たちは内に向けて探さず、乗り越えるべき難がそのままになっていれば話は別です。
 
 例えば、今日のトラブルは彼に責任がある、昨日のトラブルは彼女に責任がある、私は辛い思いさせられた、私には責任がないと、このように外に向かって探すのでは、難が積もっていきます。そして難が大きくなり、執着心も増大し、出会うトラブルを乗り越えることができなくなり、結果として多くの同修が刑務所に入れられて迫害され、または病業が現れ、経済的に危機に陥るのです。ですから、難が現れるときは、天が落ちてきたように重く感じ、乗り越えることができなくなるのです。難が積もれば、修煉が難しくなります。これが分かれば、私は今後、自分に対して厳しく要求し、それも自分の修煉に対して責任を持つことになります。
 
 特に、正法修煉の時期において、旧勢力は彼らのものを強制的に私たちに加えようとしています。そうでなくても私たちの修煉は難しいのに、旧勢力の参与によって私たちの修煉はさらに難度を増したのです。もちろん、私たちは旧勢力の按配を否定していますが、これは口で言うだけではなく、修煉の中で内に向けて探すことができれば、旧勢力に乗じられない一つの良い方法なのです。
 
 私がこの文章を書いたのは、同修と励まし合うためで、自分の現在の修煉にどんなに満足していないとしても、あるいはトラブルに出会ったとしても、継続して内に向けて探すことができれば、乗り越えることのできない難は存在しません。
 
2011年01月17日

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