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20数日間で、法輪功修煉者2人が虐殺された現場を目撃

(明慧日本)現在、海外に在住している法輪功修煉者・景鎖さんは、2004年にかつて中国共産党(中共)に拘禁された。景さんは20数日の間に、法輪功修煉者・王文挙さん(38)と王金鍾さん(48)が虐殺される現場を目撃した。 
 
 一、英語教師・王文挙さんが苦しめられ死亡
 
 遼寧省岫岩県の湯溝中学校の英語教師・王文挙さん(男性)は、2004年に法輪功の修煉を始めた。授業中に法輪功の真相を説明したため告発され、2004年10月26日に湯溝派出所と岫岩県公安局に連行され、懲役3年の不当判決を下された。2005年3月20日前後に瀋陽まで連行され、その後、撫順に移送された。 
 
王文挙さん

 王さんは厳管監区に監禁された後、断食で迫害に抗議したため、刑務所内の病院で野蛮に灌食された。警官は王さんをベッドの上に縛り、受刑者のリーダーと、他の受刑者が必死に王さんを押さえつけ、警官は王さんの鼻から胃まで管を差し込んだ。その瞬間、王さんの鼻から血が流れ出た。 
 
 受刑者は、厳管監区長・肖然と上層部の命令の下、毎日、王さんに野蛮な灌食を行った。指で王さんの目を開いて眠らせず、思うままに王さんを口汚く罵った。縄を解かず、ベッドの上で大小便をさせ、排泄物が体の下に溜まった。その後、王さんは管を引き抜き、自分で食事することを求めたが、警官は王さんに断食しない「保証書」を書くように脅迫した。王さんは書かなかったため、刑務所は断固として管を抜かなかった。それから、王さんは意識不明になり、大小便を失禁した。 
 
 2005年4月25日、刑務所は王さんを撫順鉱務局の病院に搬送した。4月27日に王さんは死亡した。遺体の目のまわりは青色だった。20数日の間、王さんは南花園刑務所に迫害されて死に至った。享年38歳。 
 
 二、王金鐘さんが虐殺された現場を目撃
 
 瀋陽中山公園の従業員・王金鍾さん(男性)は、「真・善・忍」の信念を堅持したため、2004年5月20日に瀋陽鉄西区の公安支局に連行され、20数日間、残酷な拷問を受け尽くして死亡した。享年48歳。 
 
王金鍾さん

 2004年6月10日、私は瀋陽鉄西公安支局の国保(国家安全保衛)大隊に連行され、6月12日に瀋陽鉄西留置場(汪家河子留置場)A区1号監室に監禁された。
 
 留置場に監禁された翌日の2004年6月13日、景さんが留置場で見たのは、4人の武装警官が仰向けの死体を担架に載せて運んでいた。急いで回廊の奥からA区1号監室を通過して外へ向かった。 
 
 遺体は凄惨で見るに忍びなく、全身露出して萎縮し、パンツ一枚だけを穿いていた。肋骨が1本1本はっきりと見える。腹部、下腹部は深くへこんでいて骨盤が突出していた。両足は上へ立て、両腕は体の両側に置き、四肢は木の棒のようにひからびていた。皮膚は黒赤色をしており、火であぶられたようだった。こめかみは窪み、頬骨は高くそびえ、両頬は落ち込んで黒く、肉がまったくなかった。目は青く深く落ち窪み、見開いたままだった。口は大きく開き、頚部の喉仏が皮膚を支えていた。体重はおよそ20〜30キロ程だった。  
 
2011年01月18日


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