■日本明慧 http://jp.minghui.org/2011/01/23/mh244099.html 



夫婦のトラブルの中で自分の執着を見つけた(一)

文/中国の大法弟子

(明慧日本)私は家庭内のバランスを取ることができなくて、特に妻(同修)との間にある心性の関をいつも乗り越えられず、トラブルの前で内に向けて探さず、トラブルをよく起こしました。自分は何度も内に向けて探しましたが、見つけたのは全部表面的なものでした。ときには、探せば探すほど、自分の行為は法の上で見れば間違いはなかったと思いました。同修と何度も交流しました。同修は内に向けて探すべきだと指摘しましたが、私は内に向けて探さず、自分を修めず、トラブルに遭うと乗り越えられず、常人にも及ばず、結局トラブルが積み重なり、ますます大きくなりました。その後、学法を増やし、師父の何度もの啓示や同修との交流につれ、私は無条件で内に向けて探し、自分の根本的な執着をやっと見つけ、私たちの間のトラブルがなくなりました。今日、私は自分の執着を取り除く過程について交流します。
 
 私は心の中で、妻は学法が少なく、自分を修めず、法を実証する仕事をやったことが少なく、利益にあまりにも執着し、舅と姑に対しては常人にも及ばず、子供には利口になり損をしないようにと教え、腹が立つと罵ると思っていました。口を開くと常人の理を言うので、私は心から彼女を軽蔑しました。
 
 ある日、私は市場で買った野菜を家に持ち帰りました。妻は「こんな野菜は誰も買わないよ。ほら、見て、虫に多く食われている。あなたのような馬鹿な人だけがこれを買うのよ」と怒りました。私は「真相を伝えるため、野菜を売っている人に話しかけたいからこれを買ったんだよ。その売り場の人は真相を分かって三退を表明した。人を救うことができれば、私たちはこのような野菜を食べてもかまわない」と説明しましたが、妻は「あなたは真相を伝えるだけでいいの? 暮らしはどうなるの? このような野菜まで買ってくるなんて」と反論しました。私は「私が師父の話を聞き、人を救い済度したことは何も間違っていない。あなたは人を救い済度しに行かず、私にも行かせないの?」と言い、2人はお互いに譲ろうとせず、聞き苦しい言葉までも言い出しました。
 
 同修がパソコンの故障で私を呼びました。家を出る前、妻は夜に客が来るため、早く帰ってきてほしいと強く言いました。私が同修のパソコンを直して家に帰ってきたとき、もう夜になっていました。妻はまた怒って「あなたは約束を守っていない。今後は外出をしないでね。あなたは私のために考えてくれないので、私もあなたのことを考えないから」と言いました。私は、同修のパソコンを修理した経緯を簡単に説明した後、妻に「大法の仕事は重要だから、少し遅く帰ってきてもかまわないだろう」と怒って言いました。
 
 彼女は、さらに腹を立てて「あなたのことは重要で、家のことは重要ではないのね? 私は家のことも外のことも忙しいのに、あなたに大法の仕事をさせてあげているの。あなたはどうしても私のことを考えず、同修の前では良い人を装い、家に帰ってくると本性を暴露するのね」と言いました。私たちは各自の理で言い争い、大喧嘩をしました。
 
 利益に関係があることに遭うと、妻はいつも常人の理を用い、「同修に協力するとき、または利益の前で、あなたは相手のことをよく考えるけど、私のために何か考えているの?」と怒りました。私は自分のやり方が正しいと堅持しました。自分は法の上で悟りながら行動したので、間違いはなかったと思いました。ときには、私は我慢できず、彼女に「あなたはこのようにひっきりなしに悪態をつき、徳を失ったわ。あなたはまだ何を修められるの。あなたは眠ったときだけ人を罵らず、怒らず、目が覚めるとまた始まる。修煉者には誰もあなたのような人はいない」と言いました。ある日、私たちの喧嘩が母親に聞こえました。修煉者でない母親は「あなたたち2人は大法を学んでいるのに、どうしてまだこのような状態なの」と言いました。私は母親の話を聞いて、なんとも言えない気持ちになりました。自分が心性を守らず、常人に理解できないことをしてしまいました。
 
 ときには、私たちの争いが続くとき、同修に是非を判別してもらおうとしましたが、同修はお互い内に向けて探すべきだと、私たちの不足を指摘しました。自分もこのような状態は修煉者の状態ではなく、続いたら良くないし、内に向けて探すべきで、慈悲を用いて同修である妻に接すれば、トラブルはなくなると思いました。しかし、しばらくして、トラブルに遭うと、また以前と同じようになってしまいました。ときには、自分は内に向けて探しましたが、どうしてトラブルがまだあるのかと悩みました。私が修煉を始めてから今日まで、家庭でのトラブルはいつもこのままで変わらず、よく喧嘩をしました。修煉は本当に容易ではないと思いました。
 
 (続く) 
 
2011年01月23日


明慧ネット:jp.minghui.org