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魔難の中にいる同修は長時間の発正念を続けるべき

(明慧日本)私がネットで読む文章の中で、発正念について同修はよく「なるほど、発正念はこんなに威力があるのですね!」と驚いたことが書かれています。しかし、10年も発正念をしてきたのに、どうして今になって威力が大きいことに気づき始めたのでしょうか? 発正念の素晴らしさは分かっているはずなのにと、私は逆に驚きました。また、このような文章もよくあります。同修は発正念の時間を延ばした結果、すごく威力があり、驚きのあまり文章にしました。それなのに、なぜ続けることができないのでしょうか? やはり、私たちはまだ発正念を重視していないのです。ネット上での発正念についての文章の数は5%にすぎず、少なすぎるのです。長い間、魔難に遭った同修たちは発正念に対して反省すべきではないでしょうか?
 
 一部の同修は、邪悪に対していつも常人のやり方で逃避しようとしますが、それも実力の保存だ、冷静な対応だ、柔軟な措置だと思い、発正念をしようとせず、あるいは発正念で邪悪な迫害を完全に止められることを信じていません。常人でもよく戦う勇者が勝つと言うのに、なぜ邪悪が来た時に取り除こうと思わないのですか? 普段、発正念の時に功はあらゆるところに行って邪悪を探します。特に、数がだいぶ少なくなった今こそ、やって来た邪悪を取り除くいいチャンスです。冗談ですが、将来邪悪が完全に取り除かれたとき、神通を発揮しても相手がいません。今だからこそ取り除くことができるのです。
 
 私たちはこの観念を変え、もっと主動的になり、それらを解体すべきです。正法は最後の段階になり、邪悪の力も弱くなりつつあります。まだ長い迫害の中にいる一部の同修にはこんな観念があります。自分のことを邪悪は知っており、随時見つけられる可能性があるため邪悪に隙に乗じられます。皆が知っている通り、悪い人の背後には邪悪な要素があるから、あえてあなたを迫害するのです。その要素を取り除くことができたとき、あなたは迫害されるのでしょうか? 理屈は簡単です。ですから、すべてこのように魔難に遭っている同修たちに、今日から観念を変え、発正念を強めて、時間を延ばし(例えば毎回40分以上)、毎日の回数を増やして、正法が終わるまで続けるのです。私自身はこのようにして、何度も迫害を止めました。
 
 発正念について、2008年に読んだある文章に賛同します。その文章の中で書かれたある同修は、翌日、連行すると町の有線で放送されましたが、驚かずに一晩中12時間の発正念をした結果、次の日は何も起こらず、師父の法身も見えました。我々の発正念は唯我独尊の気迫と強い自信をもってするべきです。邪悪が一番怖がるのは、冷静で正念の強い大法弟子ではないでしょうか?
 
 邪悪が来たら、常人の方法ではなく、落ち着いた心と正念でそれを解体すべきです。迫害が発生するたびにこのように対応できれば、邪悪など来ることができますか? 一人の力に限りがあれば、他の同修に応援をお願いすればいいのです。
 
 国内と海外の、状態の良くないすべての同修は、できるだけ毎日時間を決めて、真剣に発正念をして、自分の空間場をきれいにすべきだと思います。自分のところから邪悪を生じさせなければ、他の同修と師父を妨害しません。特に、中国国内にいる状態の良くない同修は、学法しようとしても頭に入りませんし、落ち着いた心ではないため、真相を伝えようとすると、邪悪に隙に乗じられやすいのです。こんな時、一番いいのは発正念をすることだと思います。私の場合「時間がなくて発正念できません」ということさえも発正念で解決しました。真剣に発正念してから、一度も手の姿勢がずれたり、眠くなったりしたことはありませんでした。逆にすぐ定力ができ、手が舞い上がるような感じで、全然疲れません。皆さんも発正念を重視してほしいのです。
 
 ここで一つ提案があります。発正念の時に手の姿勢がずれたり、寝てしまったり、状態が良くなかったり、長い間病業を乗り越えられなかったり、長く監禁されたり、それに獄中にいたり、釈放されたばかりのすべての同修は、長期間、長い時間の発正念を続けることです。強い根性で問題が解決するまで続けて頑張りましょう。 
 
2011年01月24日

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