山東省:莱陽市留置場で行われた残酷な迫害(二)(写真)
(明慧日本)
三、灌食、薬物による迫害
留置場の警官は蓋(がい)秀龍さんに断食を中止させ、信仰を放棄させるために、わざと長期にわたり残酷な虐待を実施した。悪名高い莱陽精神病院で、秀龍さんは何度も強制的に灌食された。
| 莱陽市精神病院の正門には、「煙台市心理リハビリテーション病院」という看板が掲げられている
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| 莱陽市精神病院の4階で、法輪功修煉者が監禁され、迫害されてきた
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最初に秀龍さんが灌食された時、2台の車が出動し、秀龍さんを乗せた車には2人の警官と4人の受刑者が一緒に乗り、彼らは秀龍さんを布団で巻いて車に運んだ。もう一台は後ろにつき、留置場の警官と責任者が乗っていた。精神病院に着くと、白衣の「医者」数人がすでに準備を済ませていた。2人の武装警官が入口で警備していた。4人の受刑者が手錠と足枷をはめられている秀龍さんを動かないように押さえ、留置場の責任者が頭と胸部を押さえ、若い「女医」が灌食を開始した。女医は親切ごかしに秀龍さんに動かないように言い、動くとやわらかい管が気管に入って、面倒なことになると言った。しかし、女医がいくら努力しても、管は挿入できず、最後にはいい加減に終わった。
その間、莱陽留置場の所長は自ら秀龍さんに声をかけ、「お前は必ず跪いて屈服し、妥協し、話はよく聞かなければならない」と言った。秀龍さんはこの機会に、何度も所長に法輪功真相を伝えた。「私は叔父が騙されて留置場に監禁されたから、会いに来ただけです。私は法律に反していません。あなたたちは法律の執行者でありながら、法律に反し、良い人を迫害しています」 しかし、彼らはどうしても聞く耳を持たなかった。
2回目の灌食は、少し歳のいった女性の「医師」が行った。彼女は落ち着いて、慌てることもなく、留置場の警官と協力し、よく息が合っていた。おそらく、多くの法輪功修煉者を迫害した経験のあるベテランのようだった。女医は秀龍さんに対して、情に負けて手が鈍ることはなかった。秀龍さんが協力しないため、何度も鼻から管を差し込み、「また間違えた」と言った。管を入れられることは非常に苦しいことである。女医はわざと何度も繰り返し、胃の中に挿入し、また管を外へ引っ張り出した。秀龍さんは、胃酸が管を通して口の中に入り、酸っぱくて苦かった。女医はとても老練で、しばらくして注入が終了した。留置場に戻ると、警官は「また食べないと、大きいさじで入れるぞ!」と毒々しく言った。
その後、秀龍さんはまた死人ベッドに縛られ、意識がはっきりしない中、眠ってしまった。目が覚めると、頭痛がして、監房の受刑者の顔が歪んで見え、変形してとても恐ろしかった。向かいの壁に掛けられた長方形の刑務所での規則が大きくなったり、小さくなったりして見えた。小さい時は小さなテレビの画面のようで、それがすぐ目の前に迫ってきて、しかし、その字はとても、とても小さく見え、何を書いているのかはっきり見えなかった。
毎回灌食の際に、「医師」はわざと胃酸が口の中に上がってくるようにするため、秀龍さんは口内がただれ、口を閉じることができず、ずっと開けていた。舌の上に厚くて、とても苦い薬のようなものが常に付着している感じで、意識はもうろうとしており、不明な薬物を使用されたようだった。
10数日後、秀龍さんと30歳前後の元気な若者が、迫害されて意識不明の状態になった。警官は2人を留置場の空き地に運び、留置場の責任者や610弁公室・尉海波らも現場に行った。秀龍さんが危篤であるのを見て、慌てて莱陽衛生学校病院に搬送し、酸素吸入をし、5本の点滴注射をした。そして、警官1人を派遣して監視させた。その夜、秀龍さんはまた留置場に戻された。監房の受刑者らは拳を振りながら、「お前は今晩死ぬに違いない!」と言った。多量の点滴注射をされたが、秀龍さんは尿意が全くなかった。口はすでに閉じることができず、ずっと開けたままで乾燥し、苦く感じ、舌の上はザラザラして、全身は絶えず震えていた。
誰もが秀龍さんはもうだめだ、常に生命に危険があると思っていた時、警官は同じ留置場に拘禁されている秀龍さんの父親に、秀龍さんを留置場の事務所に背負って来させた。その時、秀龍さんは血を吐いた。留置場は責任を逃れるために、慌てて秀龍さん親子を釈放した。60過ぎの父親は留置場での虐待ですでに衰弱していたが、歯を食いしばって、危篤に陥った息子を背負い、苦しみに耐えながら、1歩1歩踏みしめて留置場を出て行った。
釈放された当日、留置場は秀龍さんから不法に奪った170数元を一元も返さず、まだ薬代が足りないと言った。帰宅した当日の午後、隣近所の人々は秀龍さんの様子を見て、皆が驚いた。その時、秀龍さんの顔色は青白く、全身が傷だらけで、筋肉が萎縮し、目はぼんやりして、顔はひどく変形して腫れていて、でん部には潰瘍があった。10数日前とはまったく別人のように変わってしまっていた。
帰宅後、秀龍さんは一時期、常に喉が異常に渇き、水を飲み始めると、大量の水を一気に飲み干し、さらに、1日に大きなスイカを一つ食べ、2、3袋のミルクを飲んだ。腹部は常に痛み、激しい運動ができず、帰宅してから数日間で胸部が明らかに大きくなり、走ることができず、振動するととても痛んだ。
蓋秀龍さんの受けた拷問は、何千万人の法輪功修煉者の受けた迫害の縮図であり、莱陽の「610弁公室」の犯した犯罪行為の氷山の一角にすぎない。今日に至っても、このような悲劇は今なお、絶えず繰り返されている。
(完)
2011年01月25日
明慧ネット:jp.minghui.org
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