■日本明慧 http://jp.minghui.org/2011/01/28/mh302897.html 



若い大法弟子の仕事における修煉体験

文/中国山東省の大法弟子・静蓮

(明慧日本)私は小さいとき、母に連れられて何回か法輪大法の講習会に参加したことがありました。その頃の私はまだ幼くて遊びに夢中になり、真に修煉していませんでした。しかし家では、毎日師父の説法テープを聴いていました。そのため「法輪大法」と「真・善・忍」が私の心の中にしっかりと刻まれたのです。
 
 私は2004年に就職しました。仕事をする中で大法の素晴らしさを体験し、いつも師父が私を見守ってくださっていると感じました。私は、できるだけ師父がおっしゃったことを守り、心性を高め、自分の行動で大法を実証していました。私は、市場で商品代金を受領する係りを担当しています。時には金額が合わないこともあります。多いときは、そのまま会計担当に渡しますが、不足があるときは自分のお金で埋めるようにしています。会計責任者を驚かせたのは、4年間で一度も、金額が不足したまま会計に渡したことはなかったことです。このようにできたのは、私が「真・善・忍、法輪大法は素晴らしい」と心に刻んだからです。
 
 2008年10月から、母について朝に煉功し、夜は学法し、時間があれば真相を伝えに出かけるようになりました。通勤途中、同修が貼った真相資料が剥がれそうになったものについては、取れないように貼り直し、縁ある人が必ず読むように、悪人に見えないようにと発正念をしています。捨てられた真相資料を見かけると、拾ってきれいにして配るようにしています。
 
 会社では個人の損得を気にしたことがなく、人が嫌がるような重労働は、自ら進んでするようにし、同僚への手助けを喜んで行っています。財務室は人の出入りが多く、いろいろな性格の人がいます。私は、自分が修煉者であることを常に念頭に置き、彼らと良い関係を保っています。ある日、上司から会社の規定により、ある販売チームの賞与支給をしなければいけないとの指示を受けました。しかし、このことを聞いた同僚はすっかり忘れてしまい、そのチームの2人に賞与をすでに支払ったようです。3人目に支払おうとしたとき、私は気づき、上司から指示があったことを同僚に再度話しました。この話を聞いた3人目の女性は、「なぜあの2人に支払ったのに、私に支払わないのか」と怒り出し、私を問い詰めました。そして、私の説明を待たずに、手に持っていたものを私の頭めがけて投げました。周りの人はびっくりして立ちすくみました。私は落ち着いて、その経緯を説明しましたが、聞いてもらえず、大きな声で罵声を浴びせ始めました。私は大勢の人の面前で屈辱されて、師父の説法を思い出しました。「『街を歩いていて不意に誰かに蹴られた時、まわりに知っている人がいなければ我慢できる』と言う人がいます。それではまだ不十分だ、とわたしは言いたいのです。あなたが最も面子を失いたくない人の前で、誰かがあなたに平手打ちを食らわして、恥をかかすようなことが将来起きるかも知れません。果してあなたはそれにどう対処しますか。果して耐えられるかどうか」(『転法輪』)
 
 そして、私は心が動じずに平静を保つことができました。以前の私であれば、屈辱を受けたら大泣きしたことでしょう。師父は『転法輪』の中で次のようにもおっしゃいました。「業力を転化させるにあたっては、しっかり自分を制御し、常人のように正しく対処できないことによる失敗を避けるために、平素から慈悲の心と、穏やかな心理状態を保たなければなりません。そうすれば、何か問題が突然現われた時に、それに正しく対処することができます。平素から慈悲の心を保っていれば、問題が突然現われても、たいてい一息おいて考える余裕があります。心の中でいつも人とあれこれ争うことばかり考えているのであれば、問題が起きると、必ず相手と真っ向からやり合うに違いありません。ですから、何かトラブルに遭った時こそ、自分自身の黒い物質を白い物質に、つまり徳に転化させる時だ、とわたしは言うのです」 私は修煉者の基準で自分に要求し、何事もなかったかのように優しく彼女に接しました。
 
 財務室には4人の職員がいて、会社から昇給できる人数は3人までと決め付けられました。1人は産休で休んでおり、1人はお産が間近なので、掃除などの仕事は一切していません。しかし、この2人とも昇給となり、私だけが昇給から外れました。そこで私は、重労働や掃除などの仕事は、いつも私がしているにも関わらず、何で私の分の昇給はないのだろう? と思いました。ちょうどそのとき、師父の説法を思い出しました。「自分のものなら、無くなることはないし、自分のものでなければ無理に争っても得られません」「われわれの法門は、人心を真っ直ぐに指すもので、個人の利益や対人関係の軋轢において、それらのことを気にかけないでいられるかどうかが肝要です」(『転法輪』)私は師父の法を心に秘め、これらのことを気にかけず、いつものように仕事をしていました。
 
 私の修煉状態は同修より遅れています。学法が少なく、定時の4回の発正念も保証できず、煉功もよく休んでいます。会社の同僚に真相を伝えることもできておらず、仕事上では大法の素晴らしさを現していますが、師父の要求には程遠いのです。しかしこれからは、しっかりと学法をして、発正念を行い、衆生を救い済度して、師父が要求されている大法弟子の基準に達し、先史の誓いを果たします。
 
 以上は、私が仕事をする中での修煉体験ですが、不適切なところは、慈悲を持ってご指摘ください。 
 
2011年01月28日


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