生命の聖殿(一)
文/中国の大法弟子・天泓
(明慧日本)
一、修煉の初期
1998年4月ごろ、私は親戚の家で『転法輪』、『法輪大法義解』と『北米第一回法会での説法』の三冊の大法の上製本を見かけました。私は、丸一日で三冊の大法の書籍を素早く通読しました。本を読んだその日の夜、夢の中で、「パン」という爆発音とともに、師父が私に天目を開いてくださいました。続けて、私は法輪が回転する時の、台風よりもすごい威力を見ました。そして自分が斧を持って、餓鬼をいっぱい閉じ込めた大きなドアを叩き割って、大通りに向かって突き進むのを見ました。長蛇が後ろから追って来ると、私は長蛇に「私はお前を怖がっていない。私には師父がいらっしゃる」と言いました。長蛇は私に師父は誰であるかを聞きました。私が師父の名前を言い出すと、長蛇は逃げてしまいました。
修煉して一カ月も過ぎないうちに、長年私を苦しめた胃潰瘍、鼻炎がなくなり、周りの人達もみな私に「元気いっぱいで、見た目も良くなりましたね」と言ってくれました。このすべてが、まさに師父が説法でおっしゃったとおりで、一つずつ私自身の身体で証明をしました。
二、迷いの中からスタートして同修と共に資料拠点を作る
2001年の夏、現地のある同修がまだ、なぜ迫害が起きたかさえ分からない迷いの中にいる私を探し出し、私を助けて大法のインターネットに繋いでくれました。師父の法像、すでに発表された法を正す経文、正念を発する時の手印を拝見した後、私は真相を伝えるべきであることが分かりました。私はお金を出し、同修と一緒に資料拠点を作りました。現地の国安(国家安全保衛員)は真相資料の由来を追究し始め、職場の上司は夫に圧力を加え、私達に離婚するよう威嚇しました。同時に、外で住む場所もなく流浪していた同修達が相次いで尾行、連行されて、十数人いた資料拠点には数人しか残っていませんでした。私もやむなく家を離れ、資料拠点に身を隠しました。
三、邪悪を取り除き、同修に協力して資料拠点を守る
資料拠点での生活は極めて清貧でした。冬はストーブもなく、ぼろぼろの板ベッド、ぼろぼろの布団と資料を作る機械しかありませんでした。私は、ずっと豊かな生活をして来たため、自分に、このような苦難に満ちた環境の中で続けていけるかを聞きました。夜、夢の中で私は自分が学校のグラウンドで高跳びの競技に参加しているのを見ました。私の学生時代の最高記録は70cmでしたが、今回は70cmを簡単に跳んだばかりでなく、1m、7m、最後はポールの極限まで跳びました。師父の励ましは私に自信を与えてくださり、私は同修達と続けていくことを決めました。
このようにしばらく過ごした後、私は地元では見つかりやすいので、他の場所の資料拠点に行った方が良いと思うようになりました。それで、私は車に乗って他の都市にある大法の資料拠点に行きました。安全のために、資料拠点の同修達は普段みな外出をしませんでした。私はまた新しい関門にぶつかりました。それは、長期的な寂しさでした。毎日学法し、発正念をすることを除くと、資料を作ることだけでした。
ある時、自分が資料を作る機械設備と同じで、言葉も思考もいらないと感じました。記憶によると一度、私は寂し過ぎて庭に走って行き、月と星を見ましたが、それでも心が落ち着かなかったため、私は部屋に戻り、MP3で師父の『広州での説法』を聞きました。MP3から師父の厳しい声が聞こえて来たその瞬間、私は震え上がりました。師父が私を見られていることと、自分の正念がすでに弛んでいたことも分かりました。それから、私は法をたくさん書き写したり、覚えたりし始め、人心がだんだん消散しました。絶えず同修と協調して交流や切磋琢磨し合い、絶えず精進する中で、大法の法理も絶えず私に表れてきました。師父の要求された三つのことが、私の生命のすべての内容になりました。
2003年の夏のことでした。江沢民がこの地区に来ました。他の空間の邪悪達もこの地区へ大量に入り込んで来ました。すべての道路、路地、そしてすべての庭、屋根、窓には奇怪な形である邪霊でいっぱいで、この空間での表現は連日、陰鬱な雨天でした。天目から見た他の空間は暗黒だらけで、光がちっともありませんでした。そして、邪霊達は人の身体に憑き、人を欲望のままに生きさせ、人類をだめにしました。
資料拠点の協調人はすぐ、江沢民が来たことを各地区の同修達に知らせ、各地区の同修たちは2日間、昼夜にわたり発正念をしました。雲が散って、日が出る時には江沢民が去ったという知らせを受けました。同修達は現地できれいに取り除けなかったことをとても遺憾に思いました。しかし、正念できれいになった他の空間の清らかさと、それによるはっきりとした気持ちと気楽な感じはみな、これまで体験したことのないものでした。そして、私はまた一人一人の大法弟子の頭の上に、「大傘」が回転しているのを見ました。まるで、古代の皇帝が出かける時に使う、傘のまわりが蓮の葉っぱのような形のもので、すごく素晴らしいものでした。同修達はみなとてもうれしく思い、師父がみなを保護し、励ましてくださっていることが分かりました。
私は1年近く資料拠点にいました。ある日、同修は私の夫が私と離婚しようとしている、と伝えてくれました。そして、家へ連絡を取るのかと聞いて来ました。
(続く)
2011年01月31日
(English:http://www.clearwisdom.net/html/articles/2011/1/6/122336.html)
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