忙しくする中で自分を修煉することを軽視しない(一)
文/中国吉林省の大法弟子
(明慧日本)正法修煉の中で、大法弟子はすることが多いのです。仕事、家庭、生活、社会との付き合いなどのバランスを正しくしなければなりません。最も重要なのは、三つのことをしっかりと行い、先史の誓いを果たして、私たちが担う責任と使命を果たすことです。ですから、私が深く感じているのは、しっかり行わなければならないことが多く、しかもいろいろなことが次々と現れてくるのです。最近になって多くの面倒なことに出会い、すんなりと物事が行えなくなりました。私は心を落ち着かせ、自分の最近の修煉を振り返ってみたとき、忙しくする中で自分の修煉を軽視していたことが分かりました。
物事を行う心
発正念するときは、脳裏に発正念を終えて何をすべきかと考えることがあります。学法や煉功するときも同じことがあります。物事を行う心は不純であり、心を落ち着かせることができず、集中することができないため、修煉していると言えないのです。私たちは大法に同化する中で、修煉状態の中で、物事をしっかりと行えば、初めて「師に手伝って世間を行く」ということになります。しかし、私の心は法の中になく、人心で物事を行うのですから、結果はどうなるか分かると思います。与えられたことは全部行った、または多く行ったからといって、自分の修煉がよくできているとは限りません。やはり物事を行う中で、いつも自分の修煉を忘れず、修煉者としての心理状態を保ち、修煉によってできた正念をもって物事を行えば、功の力で成し遂げることができるのです。
他人を変えようとし、自分の心を変えようとしない
この心は、修煉の中であらゆる方面に現れます。家族とのトラブルの中でも、同様な心が現れます。自分を改め、家庭の環境を変えた後、妻と子供は大法の修煉を始めたのですが、私の修煉状態がいいときもあれば、良くないときもありました。最初のころ、私は根気よく家族に接していました。しかし時間が経つにつれて、することが多くなると私は慈悲心がなくなり、家族を叱責するようになり、修煉者として限度を超える行動もありました。そのときは家族を責めるばかりで、自分を見る、自分を修煉することを忘れていました。ある日、妻に「あなたはいつから私たちを衆生として見るようになったのですか? あなたは考え直す時期に来ているのではありませんか?」と言われました。私は驚きました。妻は自分の考えを話してくれました。
私の促しや叱責に対して反感を持っていたようで、自分たちの修煉に対する積極性が削られたそうです。妻は本で学法するのが好きで、電子ブックで学法するのがあまり好きではないようです。そのため、ほかの同修が『転法輪』やMP3を急に必要とするときに、私は妻が使っているものを同修に渡すことがありますが、妻はこのことを受け入れられなかったようです。それから、法を実証する仕事で忙しく、しばらくの間は妻の実家を訪ねていませんでした。自分のやりたいことに執着して、それに合わせて自己を実証する要素もあり、妻の姉妹の大法に対する理解を阻んでしまいました。妻の話を聞いた私は、目が覚めました。私が法に基づいて修煉していないため、マイナスの要素が生じ、家族の精進を阻みました。自分の不足を認識した後、私は自分の心理状態を調整して、純正なる心で家族と交流し、自分の否を認めました。そして、家族は翌日から精進し始めたのです。
(続く)
2011年01月31日
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