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結婚について

(明慧日本)中国国内の法輪大法に対する迫害はまだ続いています。労働教養所に連行される同修もいれば、病業で命を失った同修もおり、長年忙しい常人の生活でばたばたして、あまり修煉しなくなった同修もいます。それに対して、多くの素晴らしい同修もいます。彼らは獄中の同修を救助することや、病業の同修の手助けや、精進していない同修を励ますことに頑張っています。しかし時間は限られていて、正法の時期に長い時間をかけて、このようなことをやるべきではないのですが、精進せず転んでも立ち上がろうとしない同修がいるため、精進する同修は見捨てることができず、手助けすることでお互いに引っ張られて、一人一人の大法弟子の力を一層発揮できなくなっています。
 
  もし、すべての大法弟子が自分に、同修に、大法に対する責任感を持つことができれば、精進する道にはこんなにたくさんの阻害はないはずです。なぜならば、師父は私たちを見守ってくださり、我々の念が正しいとき、法を守る神が妨害する邪悪を取り除いてくださいます。以上はこれまで悟ったもので、足りないところをご指摘をお願いします。
 
 また、結婚について、多くの若い大法弟子は悩みがあると思います。家族や親友からの圧力も常に感じるでしょうが、実は明慧ネットには理性的な文章が出ているので、参考になるでしょう。私は次のように悟っています。結婚するかどうかは問題ではなく、結婚したい最大の目的が何かということにあります。法を実証して師父に手伝って法を正すためでしょうか? 結婚の相手は同修だとしても、ただの名利情の執着心のためでしょうか? そうでなければ、この常人の環境を借り、よりよく法を実証して師父に手伝って法を正すためでしょうか。
 
 もちろん、これはそんなに容易ではないと思いますが、修煉は厳しいことです。冷静にはっきり考えた上で結婚しても間に合うでしょう。小さく言えば、結婚は将来の生活のための責任であり、大きく言えば、お互いの修煉のため、衆生のために責任があります。結婚を通して、自分にはまだどんな常人の心が取り除かれなかったか、常人の情と欲に絡まれていないかなどがはっきり見え、すべてを師父の按排に従い、結婚できるときには結婚すればいいと思います。私たちはよく自分を修め、師父に手伝って法を正し、衆生を救い済度する使命と責任を果たして、他のことを考えすぎないことです。それも執着になるのです。
 
 以上は私個人の次元で悟ったものであり、間違ったところがあれば、ご指摘をお願いします。 
 
2011年02月02日

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