■日本明慧 http://jp.minghui.org/2011/02/03/mh051636.html 



かつての大法小弟子を呼び覚まそう(一)

(明慧日本)4月21日に明慧ホームページで発表された文章「身近にいるすでに法を得た子供たちを気にかけよう」を読んで、かつての同修たちを元の(修煉の)道に戻させるということは、私たち大法弟子一人ひとりの責任だと思いました。
 
 私は大きく遠回りをして、何度も紆余曲折を経てやっと元に戻れたため、迷いの中にいる危険を知っています。私のようなたくさんの小弟子は、このような変異した社会の中で、法の導きがなければ、常人社会でどんどん遠く離れていき、この千年に一度きりの縁を失うことになるのです。
 
 私は自分の体験をここに書き留めて、かつての私のように迷ってしまった若い同修たちを取り戻すこと、大人の同修たちが彼らのその殻を打ち砕って、かつての小弟子たちを取り戻すことを願っています。
 
 おじいちゃんは、1999年以前に法輪功を修煉し始めました。私のおじいちゃんは元教師で、とても教養があり、煉功場所を作って、毎日十何人もの人が法輪功を修煉していました。その時の私と同年齢の子供も確か6、7人(今は3人しか戻っていない)いました。皆の動作はけっこう上手で、大法が素晴らしいことも知り、天目も開いて、不思議な現象も見えました。それから、大法と出会う子供がどんどん増えていきました。
 
 1999年7.20のとき、中共は法輪功を迫害し始め、テレビや新聞で天地を覆い隠してデマの報道を流し、法輪功を中傷しました。私たちは見当がつかないまま、誰を信じれば良いか分かりませんでした。おじいちゃんは堅固にこの道を貫きました。もちろん、子供の私たちは親の心配と警戒により、誰も修めなくなりましたが、大法が良いという思いは心の中に深く根付いていました。
 
 偽の「天安門自殺事件」が起き、より一層緊張し、サインを強要されたおじいちゃんは警察署に連れて行かれました。両親は怒鳴って、私達におじいちゃんの言葉を信じないように、大法を信じないようにと言いました。だが、私は大法の悪口を一度も言いませんでした。いつかきっと人々は、大法が素晴らしいと信じ、私もきっと改めて修煉するのだと心の中で分かっていたようでした。
 
 成長するにつれて、中学を卒業し、たまに休日に家に帰ると、おじいちゃんとおばさんが法輪功の真相資料を見ていました。彼らも私に真相を伝えましたが、私はただ素晴らしいことを知っていれば良いとしか思わず、それほど気に留めることはりませんでした。しかし時々、外で大法の真相の紙が貼り付けてあったのを見て、私はとても感激し、なんとも言えない嬉しさを感じました。私はまた、「天安門自殺事件」の真相を見ましたが、ある殻が中々破れないような気がして、大法に入ることができませんでした。
 
 専門学校を卒業し、身体検査で私は肝炎と診断され、このことが私の夢と人生を壊してしまいました。同級生は皆、仕事に就いてばらばらになり、私は荷物を持って家に帰らなければなりませんでした。両親も衝撃を受け、あちこち病院を回り、お金もけっこう使いましたが、やはり治りませんでした。おじいちゃんは何度も私に「やっぱり大法を修煉した方がいいよ。どんなに大きい病気の人でも治ったのだから」と勧めてくれました。それから、私は修煉を始めましたが、本は読まず、ただ煉功だけで、本当の修煉とは言えませんでした。
 
 あっという間にお正月が過ぎ、若者たちは皆働きに出かけました。私は両親に、村の一人と一緒に深センに行くようにと言われました。出て行く前に、おじいちゃんの家に別れの挨拶に行きました。おじいちゃんは私を傍に呼んで、「全ちゃん、そこに行ったら必ず自分を大事にするんだよ。そして『真、善、忍』をしっかり覚えておいてね。大法の教え通りに行動するんだよ」と言って、緊急のときに使うようにと隠れて私に200元を渡してくれました。私は泣きましたた。おじいちゃんの気持ちが分かったからです。
 
 家族と別れて列車に乗りました。しかし、私はまたしても法とすれ違ってしまいました。外の世界はだんだんと私を迷わせ、旧勢力は私をもっと遠くまで引きずり下ろそうとしています。私は工場の物を盗むようになり、彼女ができたりして、常人よりもさらに常人になってしまい、おじいちゃんの言葉をすっかり忘れてしまっていました。
 
 2006年、私は他の人と東北海城にアルバイトへ行くとき、おばあちゃんが私に法輪功のお守りをくれました。私はずっと大法が素晴らしいことを信じ、神様がいることを信じていたので、そのお守りをずっと身に付けていました。そして、アルバイト先の糸染め工場で、何度も命を奪われるような事故の中で、私はすべてを無事に乗り越えることができました。ある時、二トンの重さがある糸が積まれたカゴがクレーンから落ちたとき、私は下で運搬車を押そうとしていましたが、手がまだその車に触れないうちに、カゴを繋ぐワイヤが突然切れてしまい、瞬時にカゴが車をぺちゃんこにしてしまいました。私は大きな災難を免れたのです!(今思えば、それは師父が守ってくださったのです)。
 
 2009年、私は江蘇省へアルバイトに行きました。当時、兄がちょうど大法の修煉に戻り、兄は私に法と出会ったときの経験を話し、携帯電話で「未来に伝えたくて」のビデオを私に見せてくれました。兄はもともとインターネットゲームに夢中で、毎日喫茶店にいました。以前おじいちゃんに、明慧ネットは大法弟子が作ったホームページだと聞いて、見たいと思っていましたが、探しても見つかりませんでした。ある日、ゲームをしているときに突然あるホームページが飛び出してきて、それをクリックしたら、なんと明慧ネットに入ったのです! 兄はとても感激しました。慈悲なる師父が、兄に法を正す道を見せてくださったのです。それで、兄は改めて大法の修煉に戻れたのです。
 
 (続く) 
 
2011年02月03日


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