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すべては法のためにやって来た

文/藍馨

(明慧日本)旧正月(旧暦の新年)がやって来ました。ネット上の同修の文章を読んでいると、正月は真相を伝えるよい機会であると私たちは気づきました。多くの同修は会社が休みになり、私たちは全員が協調し、責任を分担して、周辺地域をくまなく回り始めました。私は一つの問題を思いつきました。それは、縁の根本的な目的は一体なんだろうということでした。
 
 私達は誰でも、どんな人に対してでも親しみを感じた時、実は、それは縁によるのです。この縁は社会的(親戚・交友)関係を維持するためだけでなく、お互いにきずなを気づかせるためでもあります。
 
 たとえば、同修の間で、付き合う時間が長くなり、仲が良い場合は、情が生まれてきます。それは、本来神聖であるべき縁を不純なものに変えてしまうのです。同修の間では、神聖なる法の縁はともに精進し、お互いに励まし合う力となります。多くの場合、ある方面の、あるいはある人の文章を読みたいと思う時、どうして読みたいと思うのでしょうか? 確かにそれらの文章が我々の修煉にとって良いところがあるからかもしれません。しかし、その文章に誰それの署名があるのを見て、それから、読むというのはよくありません。それでは、常人になってしまいます。目にしたのは本当に縁があって見たのかもしれませんが、このような縁は私たちに衆生を救い済度することを全うさせるものであって、それは、縁そのものに執着しているのではありませんか。
 
 常人との縁も同じです。人類社会のすべては法のためにあるのです。輪廻は縁を結ぶためです。私たちは責任をもって、常人との縁を有効に使うべきです。最も効率的な方法で救い済度することは私たちがすべきことです。
 
 正月には、同修の間、同修と常人の間で行き来する事が多く、この機会を利用してこの文章を書きました。ともに励まし合い、努力しましょう。自分の執着を放任しないでください。
 
 個人の体験であり、ご参考になれば幸いです。 
 
2011年02月06日


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