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同修を助けるのに人心はいらない

(明慧日本)最近、私の周りは旧勢力に迫害されています。その表面の症状は病業の状態が現れており、ひいては数人が亡くなりました。このため、学法を怠って修煉に理解が浅い一部の人に動揺を与えました。
 
 ある協調人は病業に妨害されて2年あまりになり、すでに何回も病院に運ばれました。同修たちは皆焦って、何回も協調人たち数人が集まって直接に発正念し、一緒に学法して、全体で発正念をしたこともあります。一部の同修はこの事を知ると、自ら発正念や助けに行ったりして、市全体のたくさんの同修に広がりました。
 
 これだけの時間を費やし、これだけの同修が関与しており、我々はよく反省した方がいいと思います。我々は正しかったでしょうか、漏れがあって同修への迫害を加速させたのではないでしょうか。
 
 同修を助けることは必要ですが、心が動じてはいけません。今の状況からみると、我々は広範囲で人心が動じています。焦って、悪い影響が出ることを恐れ、同修への情を抱えて、同修への怨念、差別の心などがあります。この差別の心がとりわけ強いのです。今まで何人もの同修が病業に妨害されて、亡くなった人もいましたが、これほど影響されず、発正念もしていませんでした。なぜ今回こうなったのでしょうか。この迫害されている人が協調人だからです。これこそ差別の心、人心ではありませんか?
 
 皆は本人が早く乗り越えて良くなることを望んでおり、皆大法への悪い影響を心配していますが、これは一種の恐れる心ではありませんか? 一緒に学法して、法理から向上することを望んでいますが、中に求める心が混じっていませんか? また、法理上で向上しない、生死を放下できないなどと責めたりして、これは純粋に善の考えでしょうか? 法を実証することにも影響を与えました。このもろもろは、旧勢力の迫害の口実になるのではありませんか? これだけ広範囲で人心が動じ、旧勢力は自分が正しく行い、これこそ人心をなくすのに役に立つという彼らの口実を作ることになってしまうのです(ここで、同修を助けないとは言っていません。人心からの行動は止めた方がいいということです。修煉なので、魔難の中にいる同修および我々もみな修煉しているからです)。
 
 魔難に遭った同修を助けることは我々の責任ですが、法理に沿ってやらないと逆効果になります。これだけの時間、これだけ広範囲の精力を費やしたのに、同修の病業は軽くならず、かえってひどくなりました。我々が静かになって考え、自分たちに問題があるかどうかを反省すべきではありませんか?
 
 法を正すことが最後になり、我々に対する要求も厳しくなりました。最近、数人の同修が病業の迫害に遭って、何人かが亡くなったことを重視しなければなりません。修煉の中に偶然はありませんので、すべて大法をもって見なければなりません。問題があっても怖くなく、各自が人心をなくして向上すれば解決すると思います。我々皆が身をもって悟り、トラブルに面して、真の修煉者の自覚を持って行いましょう。
 
 もちろん、問題が発生したのは本人に原因があると思います。例えば、同修自身が苦に耐えられず、生死を放下できず、魔難に遭っても正念が足りず、求める心を持って学法および三つのことをするなどです。また、一部の人は法理をはっきり認識せず、先に死んでも円満成就できると思って、苦に耐えられない時に簡単に肉身を放棄しました。また、師と法を信じること自体が足りず、何回も病院に行き、最後に病院で亡くなりました。
 
 ここで、魔難の中にいる同修とともに師父の法を復習したいと思います。「私は李洪志の弟子であり、他の按排は要らない、認めないと思えば、それらは恐れ怯えて手を下すことはできず、何でも解決することができます。あなたが本当にこれをやり遂げることができれば、口先で言うだけではなく、行動においてこれをやり遂げることが出来れば、師父は必ずあなたを支持します」(『二〇〇三年旧正月での説法』)
 
 そして、次の念を加えます。「私が修煉していることは、他の生命と関係がありません。もし私が以前誰かと契約し、保証したことがあっても、今日それを全部破棄すると宣言します。私は師父の按排しかいりません。ほかのすべてを認めません」 もし本当にこうなったら、旧勢力は厳しく迫害する勇気がなくなります。
 
 以上は私の悟りであり、足りない部分があれば慈悲なる指摘をお願いします。 
 
2011年02月09日


(English:http://www.clearwisdom.net/html/articles/2010/12/31/122210.html
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