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慈悲深い師父は私を精進するように悟らせてくださった


文/中国の大法弟子

(明慧日本)私は1994年に法輪大法の修煉を始めました。しかし、1999年7.20から同修との連絡が途絶え、また自分の怠け心で、ほぼ10年間修煉せず、たまに『転法輪』を読むだけでした。慈悲で偉大な師父は私を見放さず、2009年末、同修が私を訪ねるように按配してくださいました。同修は私を手伝って学法チームを作り、またすべての大法の書籍をくださいました。こうして、私はまた大法の修煉に戻りました。
 
 初めて、夜12時の発正念をするとき、私は起きられなかったので、師父は携帯の着信音で私に起きるように促されました。しかし、私がアラームを設定したわけではありません(当時の私はまだ携帯電話のアラームの設定方法を知りませんでした)。朝3時50分の煉功時間のベルが鳴っても、私は起きようとしませんでした。この時、師父の法像が私の目の前でぐらぐら動いて、私に起きるように促されました。私は悟りが低く、また寝ようとすると、師父の法像の周りから光が四方に放ち、私の目の前でぐらぐら動きました。私はそれ以上、横たわっていられませんでした。
 
 しばらく煉功すると、怠け心と安逸心がまた起きて、煉功時間になると眠くてたまらず起きたくありませんでした。しかし、これは全世界の大法弟子が一斉に煉功する時間だと思うと、怠けることができません。この一念の中で、師父の法の「大法人心を看る」(『洪吟二・無題』)が突然、私の頭の中に入ってきました。
 
 発正念をする時、私は体をまっすぐに伸ばして座れませんでした。ある時私は、「発正念をしているのに、1人の神として体をまっすぐに伸ばせなくていいのか!」と思いました。この一念が生じたとき、とても高い山頂に1つの石佛像があり、私はこの石佛像と一体となって、片手を立てているのが見えました。下を見ると青くて大きいボールが1つあり、周りはすべて星でした。その時、私はどういうことなのかが分かりませんでしたが、数日後、同修は私に1枚のDVDをくれました。そのDVDの中に、私が発正念をする時に見た光景があるのを見つけました。そこで、私は突然目が覚めました。これは師父が私を目覚めさせてくださり、何が正念なのかを悟らせていらっしゃるのだと思いました。
 
 師父は、私の手を引っ張って、前に向かって歩ませてくださいました。この時、私は本当に師父がおっしゃった「私は誰一人として取り残したくはありません」(『各地での説法四・二〇〇四年シカゴ法会での説法』)の法の本当の意味を理解することができました。 
 
2011年02月10日

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