■日本明慧 http://jp.minghui.org/2011/02/12/mh132646.html 



病院の薬品管理者、貴州省の刑務所で迫害され死亡

(明慧日本)法輪功修煉者・胡大礼さん(39歳男性)は、貴州省修文県医院の薬品管理者として勤めていた。2011年1月19日、都イン刑務所で迫害され死亡した。死後、中共関係者は胡さんの遺体を強制的に火葬した。
 
 ある日、刑務所側から胡さんの家族に、胡さんを迎えに来るようにという連絡があったため、胡さんの弟と妹ら家族3人が迎えに行ったが、目の前に現れたのはすでに死亡した胡さんの遺体であった。刑務所は訴えられるのを恐れ、胡さんが死んだと話した。これに対して家族は何もできず、刑務所は遺体を強制的に火葬すると一方的に家族に通知し、何の準備もなかった家族が突然の出来事に戸惑っている間に刑務所側は遺体を火葬したため、2011年1月20日に胡さんの遺骨を持って帰宅した。
 
 1999年7.20、江沢民をはじめとする中共(中国共産党)は無実を知りながら嘘やデマで国民を騙し、独裁政権のもとで法輪功への全面的な迫害を始めた。その時から胡さんは憲法に付与された権利に基づき、一国民として国の過ちを正すために、法輪功の真相を陳情する目的で上京した。しかし、中共の警察に強制送還され、地元の留置場に15日間監禁され迫害された。
 
 それから、地元の法輪功修煉者たちが上京し陳情したが、警官らは証拠がないまま胡さんが皆を動員したと疑い、胡さんを自宅から連行して2日間拷問した。何も知らない胡さんは容疑を否認し続けたが、県公安局は胡さんを貴州省中八労教所に移送し、3年間不当に監禁した。
 
 2002年5月、労働教養所は胡さんに対してさまざまな拷問を実施し尽くし、胡さんの仕事先と結託をして、「事前」に保釈すると胡さんに言い出した。条件としていわゆる「三書」にサインをするように迫った。胡さんは巍然と中共の陰謀を見破り、彼らの要求を断った。胡さんは自分の職場の関係者にこう話した「私は『真・善・忍』に従い良い人になろうとしているだけです。何の悪いこともしていません。中共関係者は度々法輪功修煉者が働いている職場に突入し、職場の責任者を脅迫し、罰金しようとして、更に法輪功修煉者に圧力をかけて修煉を放棄するように脅迫しているのです」。さらに、胡さんは職場に迷惑をかけないよう、辞職届を出して、自分が実家に帰り、両親を手伝い、石工の仕事に携わった。
 
 2002年9月、地元に仕事がないため、胡さんは貴州省の首都である貴陽市に出稼ぎに出た。しかし、中共は第16回共産党大会を前に、胡さんの行動を規制するため警官らは胡さんの実家に度々侵入したが、胡さんを見つけることができなかった。すると、元職場の人を呼んで貴陽市に行かせ監視をやらせた。その後胡さんは貴陽市で拉致され、それから行方が分からなくなった。
 
 2003年7月、一本の電話が胡さんの実家に入った。相手は刑務所で胡さんと一緒に監禁されていたと話した。胡さんは迫害によって足が骨折して歩けないし、立つことすらできない危篤状態であると話してくれた。家族は情報をもとに刑務所に辿り着き、面会を要求したが断られた。
 
 2003年8月、胡さんは突然貴陽市烏当区裁判所、貴陽市「610弁公室」に「法律の実施を破壊した」「ラジオ、テレビの施設を破壊した」というわけのわからない罪で懲役10年の重罪を科された。裁判の時に出した“証拠”は公安当局が用意した様々な物品リストだけでした。リストにはプリンター、生活用品、法輪功の書籍、電話、電線、テレビなどの生活用品ばかりだった。犯罪当時の証拠は何一つもなかった。
 
 胡さんは密かに判決を下され、家族にも知らされなかった。両親は情報をたどり、貴陽市第一留置場に駆け付けたが、警察に玄関先で断られ追い出された。足のことを聞くと、警察は「栄養が足りないだけだ、特に問題はない」と胡さんの両親を騙した。
 
 監禁されている胡さんを保釈して治療するために、母の張光仙さんは度々刑務所を訪れ、保釈を要求したが、警察らに虐められ、侮辱されながら拒否された。その後中共当局は胡さんを都イン市第四刑務所に移送し、更なる暴力と残虐な迫害を実施した。それによって、胡さんの体は傷だらけになり、何回も救急病院に搬送され救急措置を取らせた。それでも釈放しなかった。理由は胡さんは三書にサインすることを断ったからだという。
 
 胡さんの母の張さんも法輪功修煉者である。息子を助けるために行動したが、中共当局に度々脅迫されていた。数名の警察らは強引に彼女の指を三書に押しつけて、“押印”させて“証拠”を作成しようとした。彼女は警察の犯罪行為を非難し、彼らの不法行為に従わなかった。息子のために心身ともに大きいダメージを受け、自分も度々迫害され、2004年2月22日、息子の元職場の医院でこの世を去った。 
 
2011年02月12日


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