心性を守れば 環境も変わる
文/中国の大法弟子・真心
(明慧日本)1999年7月以前、私は優しい妻と利口な息子と3人で幸せに暮らしていました。それから法輪大法が迫害されて、私も迫害を受け、監禁中にひどく拷問されました。やっと自由になってから仕方なく放浪生活を続け、仕事もなく、家に戻れませんでした。特に、妻と息子の消息もなく、心の中でとても申しわけない気持ちでした。今年の1月4日、数年間会っていなかった同修と会いました。その同修から、私の妻がすでに再婚して、私の子供を連れて南の方に転居した、と私に教えてくれました。
私は悲しくなりましたが、師父の説法を思い出しました。「とにかく人類社会のすべてのことが情から出ています。この情を断ち切らなければ、修煉することはできません。情から抜け出すことができれば、誰もあなたを動揺させることができず、常人の心があなたを動かすことは不可能となります。それに取って代わるものは慈悲の心であり、より高尚なものです」(『転法輪』)私は、「これは彼女の選択なので、幸せになることを祈るしかありませんね。ただ、子供に一目でも会いたいです」と言いました。同修は「二人とも南の方にいるので、そこに行けば会えるでしょう。でも、大法弟子の子は師父が見て下さっていますので、心配はいりませんよ」と答えました。
他の同修を待つ間、私はその場で静かに座禅をして、体中にエネルギー流が流れて、絶えず私の体を加持していることを感じました。数時間の間、卵の殻の中にいるような不思議な感じでした。
待ち合わせていた同修がやっと来ました。この同修は私に関心を持っていて、彼女を紹介してくれると話しました。私は、彼女の親切に感謝して、同修に明確に答えました。「私は再婚するつもりはありません。大法の修煉だけをしっかり行います。私のすべては師父に按排されており、私は修煉に専念します」
私たちは次のことについて切磋琢磨しました。
一、学法して、自分をしっかり修めること。
二、しっかり発正念し(特に近距離の発正念)、他空間をきれいにすること。
三、出てこなくなった同修に対し、迫害されたことは重要な証拠なので、迫害されたことのある同修は皆、自分の迫害経歴を書き出すように呼びかけること。
四、現地の大法弟子への迫害に加担し、さらに悪の報いに遭った事例を収集すること。同時に、大法の真相を理解し、大法弟子を助け、良い報いが起きた事例も収集すること。
五、現地の邪悪を暴露して、邪悪を取り除き、衆生を済度すること。
翌日、私は時間通りに約束の場所に行きました。昨日の同修の他に三人も来ていました。この時、同修は「今日はなにか妖しい雰囲気だ、たくさんのパトカーが来ている。大通りにつながる所に警察と数台の車を見た」と言いました。これは、他空間の邪悪が警察を利用して、幻像を見せたのです。これによって、プレッシャーをかけ、我々の心理に影響を与えようとしていると思いました。私は分かっているものの、やはり重く感じて、空気も一層緊迫しました。私はなるべく疑い、恐れ、怨念などを抑制して、動じないようにしました。そして、はっきりと次のことを選択しました。
一、「私は李洪志の弟子であり、他の按排は要らない、認めない」(『二〇〇三年旧正月での説法』)全面的に旧勢力の按排を否定する。
二、私は主佛の弟子であり、法を正す時期の大法弟子で、宇宙の中にもっとも正しい生命、未来の宇宙の主宰者なので、私は師父にしか従わず、他の誰にも動じられない。
三、自分の心の中の魔性の物を取り除き、それは全部私のものではない。私はそれを排斥、反対、取り除く。「人類社会のすべての現象は幻像で、確かなものではない」(『転法輪』)この幻像は私と関係ない。
私は自分の心を静めて、内に向けて探し、自分の心の動きを見ていました。他には何もなく、心の動きだけを見て、心性を保って、発正念をしながら、内と外を一緒にきれいにしました。この時の私はとても巨大な体になったようで、全身がエネルギーに包まれていました。一時間も過ぎましたが、同修の遅刻も幻像ですので、私は心が動じず、そのまま座っていました。しばらくして、他の三人が来ました。微笑みながら挨拶をして、ふと見ると警察も車もなくなり、すべての幻像が消えました。
偶然、私たちは同修の親戚と出会って、家に誘われました。ちょうど昼12時になっていました。まさに、師父が発正念するように按排されたのだと思いました。
後日、私はある同修の家に行ったとき、「警察が朝から来ていました。今帰ったばかりです」と同修は言いました。もし、昨日会った同修と今日の朝に会う約束をしていなければ、今朝ここに来ていたでしょう。本当に危険でした。すべてが絶妙にタイミングよく段取りされています。すべてが師父に按排されており、私たちは法を師にして、しっかりおさめ魔性を取り除いて、大法弟子の三つのことをすればよいのです。内に向けて修めれば周りの環境も良くなることを体験できました。本当に次の説法の通りです。「静かに思う幾多の執着の事を、人心を片付けば悪は自ずから敗る」(『洪吟二・別れ哀れしむ』)
2011年02月13日
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