法輪功に迫害を加える百年の名門・清華大学(一) 文/海外の清華大学卒生
(明慧日本)2011年は清華大学の創立100周年である。しかし、中国人と全世界の華人が誇るこの大学、多くの学生が憧れるこの美しいキャンパスには、1999年から11年あまりの間にどれほどの悲劇が起きたのか、知る人は少ない。
一、清華大学の歴史
中国北京郊外の西北部に位置する清華大学は、中国エリート層の知識人を多く集め、中国本土において最も有名な理工系大学である。
1911年、米国政府が「義和団の乱」のために中国から受け取った「庚子賠款」という賠償金を一部中国政府に返還して、米国留学予備校として清華学堂を創立した。中国学生の米国留学奨励が清華大学の発足となり、留学の機会を得た千人以上もの学生が米国から西洋の科学技術を持ち帰った。西方の科学技術を学ぶと同時に、清華学堂の学生たちは中国伝統の「身を修める、家を斉(ととの)える、国を治める、天下を太平にする」という儒学伝道を捨ててはいなかった。
清朝最後の皇帝が退位した後、中華民国が創立され、「清華学堂」を「清華学校」に改名した。中華民国政府が清華学校の発展を重視し、充分な経費を与えた。清華学校はよく有名な学者を招いて講演を開いた。民国3年の冬、大学者・梁啓超氏が清華学校で「君子」と題する講演を行い『易経』の「天の運行が健やかであるように、君子は自ら努め励み、怠ることはない。万物を載せる地形が柔順であるように、君子も徳を厚くし寛容な心で万物を載せるべし」と学生を励ましたことをきっかけに、清華学校は「自強不息、厚徳載物」を校訓にした。
第二次世界大戦の時に日本は中国に侵攻した。清華大学は北京を離れて内陸に移り、昆明で北京大学、南開大学と西南連合大学を組織した。西南連合大学には名高い教師が多く集まり、水準と学風が高いことで国内外でも有名だった。終戦後、清華大学は1946年に北京へ戻った。それから中共(中国共産党)が政権を奪い取り、中華民国は台湾まで退いた。清華の教師と学生に尊敬されていた梅貽キ校長は1948年末までずっと清華に務めた。1955年、清華大学は台湾の新竹で国立清華大学として再建され、梅貽キ氏は引き続き校長に任命された。
二、中共の清華大学に対する思想統制システム
一方、中国本土に残った清華大学は歴史上の高い名声をもって、最も優秀な学生を選抜した。優れた素質を持つ学生に清華大学の名声を加えて、清華大学は現代中国人の心に中国の最も良い大学として認識されている。しかし、イデオロギーの面で、清華大学は中共当局の厳重なコントロールを受けている。中共が1949年に政権を奪い取ってから、絶え間なく次から次へと政治運動を起こして、中国の伝統文化を徹底的に壊滅し、伝統的な教育体制をも破壊した。1977年に中国で大学入試が復活したが、現在の中国の大学教育は、国を良くするために、西洋の先進技術を学びながら自国の伝統を伝承させるような知識人を育成することができなくなり、国民を洗脳させるための教育構造の一環にまで没落した。清華大学にとっても、「自強不息、厚徳載物」の校訓はとっくに昔の輝きを失った。
共産党は党、団委員会のような構造を清華大学にも導入し、イデオロギー面で清華大学をしっかり統制している。清華大学には大学党委員会があり、学術に造詣のない党委員会書記が、校長よりも大きな権力を握っている。それぞれの学部に学部党委員会があり、学部下の各教研室にすべて支部が設置されて教師を統制する。学生に対しては、大学に青年団委員会があり、すべてのクラスに団支部が設置されている。クラスにはまた共産党に加入した高学年の学生が担当する指導員が派遣される。このように、中共の組織一式が清華大学に入り、教師から学生まで思想統制を行う。実は、清華大学のみならず、中国のすべての大学にも、同じように中共の組織一式が入っている。
そもそも、これらの組織は学術の研究、知識の伝授と何の関係もないが、学校の中で一つの膨大な機関を成している。政権を独占するために、中国共産党はこのような奇形なものを作って、大学を含むすべての国営企業、病院、学校、政府機関にまで設置した。目的は国民に対して洗脳を行い、思想の自由を制限し、中共に従順でない人を打撃するためだ。清華大学にとって、これらの組織は一つの腫瘍のように、知識人の真理への探索、創造力の展開を束縛している。
三、清華大学で広まる法輪大法
束縛されていても、広大無辺な世界の真理と人生の意義を探求したい理想を抱えて、独立した思想を持つ優秀な教師と学生は、やはり清華大学にたくさんいる。法輪功が伝わり始めた時、思想の檻に囚われていた彼らは、まるで精神的解脱の曙光を見て、真理に直行する道が見えたようだった。李洪志先生が伝授された法輪大法を学び、彼らは初めて精神、道徳と物質の統一、マクロの宇宙とミクロの物質構造の統一に触れた。時空と物質の真相、生命の起源と生命の本当の意義が分かり、ずっと求めていた真の法と道を得た。
自然科学を学び、厳密な思考訓練を受けた優秀な知識人として、自らの体験と検証がなければ、今までの科学の範疇を超えた理論に彼らは決して盲従しない。李洪志先生が出版された法輪大法の著作は、ほとんど全部講習会の録音を整理したもので、李先生は講習会で数時間にわたって法理を伝授されるが、原稿は一切使われない。教師が授業時に話した内容、使った教材と出版した書籍の背後にどのような努力を払ったか、清華大学の教師と学生は、誰よりも分かっている。李先生のような講習の仕方、書籍の書き方は彼らにとって前代未聞だった。
これだけでなく、それからの講習会で李先生はますます次元の高い内容を伝授し、科学の範疇と人類の思考の限界をはるかに超えた。しかも、李先生が説かれた内容は一貫性を持ち、論理的に完全無欠だ。どのような表現を使ったとしても、どの角度から説明しても、李先生が説かれたことは互いに釈明でき検証できる。説かれた法理は精妙を尽くし、完璧な体系となっている。それに、講習会で原稿を使わず、その場で随時に流暢に参加者の質問に答える。考えてみてほしい。現在のトップレベルの科学者でも、このようにできる人がいるだろうか? 中国屈指の大学の教師、学生として、多くの有名学者の講義を聴いた彼らは、完全に李洪志先生と法輪大法に圧倒された。
法輪功の著しい効果、人々を善良に導く法理は多くの教師と学生を魅了した。彼らの多くは高い職責を持つ上級知識人であり、博士と修士であり、エリート知識人の中のエリートである。しかし、彼らは法輪功の奥深い法理に圧倒され、李洪志先生に対して比類のない敬慕の念をもった。学ぶ人数が増えるにつれ、清華大学の煉功場所は九つにまで増え、修煉者の数も400人以上に達した。
四、法輪功迫害に加担する清華大学
(1)江沢民が法輪功に対する迫害を開始
法輪功が中国全土に瞬く間に口コミで広がったが、無神論を強制する中共は、そのイデオロギー以外のものの存在を許さない。政治闘争が得意な中共がやったすべては自分の権力を守るためだ。中共は自分の好まないものを、正しいか正しくないかに関わらず、断固として打撃を与えて消滅させる。たとえ精神面の思想信仰に対しても例外でない。
中共は悪の本性のため真・善・忍を恐れ、中国で迅速に広まっている法輪功を天敵と見なした。1994年から、中共は法輪功修煉者の中に警官を派遣して潜伏させたが、何の問題も発見しなかったほか、多くの警官は法輪功を修煉し始めた。1996年、『光明日報』は法輪功批判の文章を掲載し、思想分野で法輪功非難の発端となった。その後、公安局および「科学者」の肩書きを掲げる政治運動家らが次々と法輪功を非難した。1997年初め、罪名をでっちあげて法輪功を取り締まるために、中共中央政治法律委員会書記・羅幹の指図のもと、公安部門は全国範囲で法輪功に対して調査を行った。各地の公安局が「まだ何の問題も発見していない」という結論を出したにも関わらず、1998年7月、羅幹は公安部「1998」第555号『法輪功調査展開に関する通知』を出して、まず法輪功を「邪教」と決めつけ、全国の公安部門に「潜伏調査」と証拠収集を命令した。調査の結果は、依然として「何の問題も発見していない」だった。
法輪功問題をめぐって、当初、中共政治局の常務委員7人の中で、強硬に弾圧しようとしたのは江沢民1人だけだった。江沢民が言った「法輪功問題は共産党の存亡、中国の存亡に関係する」理由は中共の最も敏感な神経に触れるとして、党内で闘争意識を煽った。1999年7月19日夜、江沢民は中共の高層会議を開いて、個人の権力を法律の上に置き、自ら全員の認識を「統一」させて、自ら法輪功の全面弾圧を定めた。それから、法輪功への迫害が中国で全面的に始まった。
(2)清華大学で法輪功の迫害を開始
1999年7.20以前から、清華大学はすでに教師、職員と学生の中の法輪功修煉者に対して調査を行った。大学側は影響力の大きい法輪功修煉者10人を詳しく調べた結果、この10人ともに人柄、業績、周囲の評価においてとても優れていることが分かった。1999年7月以降の数カ月、清華大学学生課の職員が学生の中の法輪功修煉者を調べた後、「彼らはみな優秀な学生だ」との結論を出した。
しかし、清華大学は中共の体制の中に置かれており、共産党の統制を受ける運命から逃れられなかった。迫害の当初から、江沢民は北京の大学系統の中で法輪功を撲滅することを大変重視し、中国屈指の大学として清華大学は真っ先に迫害を被った。江沢民の命令を受けて、中共「610弁公室」のリーダー・李嵐清はいわゆる法輪功問題の処理のために、自ら清華大学に出向いた。また、共産党中央は「985工程」と名付けた高額な研究基金を囮にして、官職罷免などで脅迫し、清華大学を法輪功弾圧に協力させた。
(3)清華大学の法輪功迫害の組織
清華大学は「清華大学610弁公室」を設立して、大学党委員会の管轄下に置いた。「610弁公室」のメンバーは大学の現役職員、定年退職後に嘱託雇用された職員、各学部の定年退職した党委員会書記からなっている。この人たちの大半は学術において実績を出せないが、人をつるし上げることが得意で、金のために元の職場に戻ってもっぱら法輪功修煉者を迫害した。各学部は、学部の党委員会書記が大学党委員会と「610弁公室」に協力して、当学部の法輪功修煉者を監視する責任を持たされた。また、大学の警備課と清華派出所も法輪功修煉者を迫害する主要な部門である。大学の共産主義青年団委員会は学生課と共同で、学生の中の法輪功修煉者を迫害することを担当し、清華大学住民委員会は定年退職した教員、職員とその家族の中の法輪功修煉者の管理と取締りを担当した(詳細は『付録3』を参照)。
清華大学党委員会は張再興・副書記をはじめ、各学部の関連部門を指揮して、清華派出所、住民委員会、中関村派出所、北京市公安局第7処、北京市公安局第14処、国家安全局などと協力して、清華大学の学生、教員と職員に法輪功の修煉を放棄させるため、恐喝、休学退学、軟禁、洗脳、免職など様々な手段を使って、法輪功修煉者の心身両面に深刻な損害を与えた。迫害の深刻さと人数の多さは全国の大学でトップを占める。
(4)法輪功修煉者の在学生に対する迫害
清華大学電気機械研究科に1995年入学の博士生・李義翔さんは1999年10月、修煉体験交流会に参加したため、北京市公安局第7処に1カ月拘留された。処長は自ら尋問して自白を強いた。李さんは柱に縛られて、昼夜連続で尋問と拷問をされ、濃い塩水を飲まされた。李さんがインターネットに本名で共産党脱退を声明した挙動は、中共高層を震感させ、江沢民自ら「彼をモデルにして、懲役を下さずに転向させよ」という命令を出した。
清華大学に駐在していた李嵐清は張再興・副書記と手を組んで自ら指揮し、清華大学党委員会は全力を出して、公安、宗教、科学のそれぞれの分野から20数人を集めていわゆる「矯正教育チーム」を作り、拷問と洗脳を併用して李さんを「転向のモデル」にさせようとした。不祥事を防止するため、彼らは李さんの母親を付き添わせ、親子2人を「200番」という清華大学原子力研究所が偏僻な山村に建てた実験基地に監禁した。20数人が1カ月かけて、李さんを外部と隔離させ、拷問、疲労戦術、心理攻撃術などで、彼に精神的な圧力を加えた。心身両面の巨大な苦難の下で、李さんは不本意に反省文を書いたが、江沢民は気に入らなかった。当局は彼の反省文に捏造を加えて、『法輪功と決裂した博士生』として発表し、残虐な拷問下の洗脳と転向を粉飾して、全国民を騙した。
李さん1人だけでなく、劉文宇さん、王為宇さん、張存満さん、於金梅さん、趙紹君さんなど中共党員だった法輪功修煉者も「200番転向クラス」に隔離され、毎日、大学側が派遣してきた教師に洗脳された。
1999年10月、清華大学は在学中の法輪功修煉者に休学処分を下して、「法輪功から脱退しないと復学させない」と告知した。休学もしくは退学処分をされて、大学院入学資格を取り消された清華大学学生は、概算でおよそ25人に達した(詳細は『付録1』を参照)。
また、法輪功を修煉したために拘留、労働教養、実刑判決を受けた清華大学の在学生は32人もいて、最高刑期は12年にも及ぶ。中の1人は残虐な拷問で虐殺され、1人は毒物を注射されて記憶を喪失し精神異常になり、1人は植物人間になってずっと刑務所に拘禁されている。
(5)法輪功修煉者である教員、職員とその家族に対する迫害
在学生だけでなく、法輪功を修煉する教師、職員も清華大学の監視と迫害を受けた。彼らの家のネットワークと電話が監視される以外、いわゆる「敏感日」になると、彼らは所在の学部の党委員会書記と「清華大学610弁公室」のスタッフに「面談」を理由に呼び出され、キャンパスから出ないように人身の自由を制限された。また、共産党員でない法輪功修煉者は、党支部の組織活動に強制的に参加させられた。
学生、教員、職員に止まらず、法輪功を修煉する彼らの家族も大学側の迫害から逃れられない。清華大学住民委員会の党委員会書記、陳克金主任と任喜華副主任は監視、家宅訪問などの手段で積極的に法輪功修煉者に迫害を加えた。また、彼らは警備員を雇用して清華大学管轄の住宅団地をパトロールし、法輪功資料を見つければすぐに破って押収した。住宅の郵便受け、自転車のかごも検査された。「敏感日」になると、彼らは法輪功修煉者の家の付近をうろうろして、「重点監視」の法輪功修煉者を24時間体制で見張り、当人と家族の正常な生活を妨害して、大きな精神的プレッシャーを加えた。
清華大学は公安局と手を組んで、法輪功の修煉を堅持する教員と職員計21人、教員と職員の家族計5人を不法に拘留、労働教養、実刑判決を行い、最高刑期は13年に及ぶ(詳細は『付録2』を参照)。
(6)結び
1999年に法輪功に対する弾圧が始まってから11年あまりの間、清華大学前任の王大中校長と党委員会の賀美英書記、現任の顧秉林校長と陳希書記は、直接迫害に加担していないが、清華大学の最高責任者として大学の中で起きた残酷な迫害を阻止せずに黙認したため、迫害を一層ひどくさせた。多くの優秀な教師と学生を校門から追い出して刑務所に送り込んだ張再興は、意外にも2期の最高責任者を罷免されることなく、ずっと党委員会副書記の職についた。清華大学の最高責任者は実に法輪功迫害の悪人の共犯者になったといえるだろう。
(続く)
2011年02月21日
明慧ネット:jp.minghui.org
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