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「80後」の修煉の道——これ以上迷わない(一)

(明慧日本)(訳者注:タイトルの「80後(バーリン・ホウ)」は、中国で1980年以降に生まれた若者世代を指します。この文章は、「80後」の若者の修煉体験です。)
 
 私が最初に大法に出会ったのは1996年です。そのとき私はまだ14歳でした。母は修煉後に身体に恩恵を受けたので、私と一緒に修煉しようと、休みには私を連れて外に出て煉功しました。機縁が未熟なのか、もしくは他の原因なのか、私は本を読んでもよく分からないような曖昧な状態で、毎日ただ煉功をしていました。こんな状態でしたが、それでも師父は私を見ていてくださいました。印象深いのは、あるとき煉功していたときに、私たちの煉功場所で他の気功を修煉している人々がいて、私はすることがなく、そこに近づいて見ていたら、突然ある大きな力に耳を引っ張られて、一気に大法の煉功場所に引き戻されました。当時はなんとも思わず、ただ耳を引っ張られて痛いだけでした。何年も過ぎて、今思い出せば、師父に対する感謝の気持ちは言葉に表せないほどです。
 
 しかし、私は大法の大切さに気付かず、中学の宿題が多くなるにつれて、だんだんと大法から離れてしまい、常人と同じようになってしまいました。しかし、母はずっと修煉を続けていました。
 
 1999年、私は高校に進学しました。その酷暑の夏に、共産党は全面的に法輪功を迫害し始めました。テレビで放送される天地を覆うような批判を見て、私は迷ってしまいました。特に、後に現れた「天安門焼身自殺事件」について、私は母にどういうことなのかを聞き、母はすべて嘘だ、信じないようにと言いました。そのとき、私はとても驚いたのです。このようなひどいデマが流されるなんて! 長い間、母が修煉して心身が大きく変わったのを見て、周囲の修煉するおばさんたちの優しさを感じてきたおかげで、私は母の言葉を堅く信じることができました。その時から、マンションの中にはたくさんの真相資料が現れ、私はそれを見終えるとこっそりと元の場所に戻したのです。
 
 学校の中で、テレビはローテーション式で、中共によるデマをでっち上げるような放送ばかりでした。政治の先生も法輪功を批判する授業ばかりやっていました。私の隣に座った人は、自分の家に配られた法輪功の資料を破り捨てたと言いました。彼らが大声で笑うのを見て、私はとても悲しくなり、修煉していないため、そのような圧力の中で声を出すことすらできませんでした。後に、授業で法輪功ばかり批判していた政治の先生は、身体検査で肺がんの末期と診断され、少し経って10歳の娘を残してこの世を去ってしまいました。中共が衆生に与えた害はどんなに大きいものでしょうか! 一つの命がこんなにも容易く中共の埋葬品と化してしまったのです。
 
 高校の3年間、母は法を正しているため、3回共産党に連行されて迫害されました。父は中共に騙されて怒り出し、すべての怒りを師父と大法に八つ当たりしました。いつも激しく罵り、本や資料を破り、家の中の空気はとても緊張していて、私はいつも激怒する父にビックリして泣いてしまいました。破り捨てられた本を見てとても悲しくなり、破られた『転法輪』を少しずつ張り合わせました。
 
 母が共産党に連行されてから、私は母に会いたいという思いを抑えて勉強に励みました。
 
 正念を堅く守り、師父の慈悲なるご加護のもとで、母は私の高校入試の数カ月前に家に戻り、私は高校入試に向かってダッシュを始めました。私の数学の成績はいつも悪く、いつも劣等感で頭がさび付いたかのように、どんなに頑張っても平均点を超えることはできませんでした。数学が足を引っ張るのではないかといつも心配していましたが、高校入試で私の数学の成績はなんとここ3年間で一番良く、両親も驚きました。問題を解くときに思考回路が水のように流れて、スラスラと解けたのです。最初は得意げに、今までの勉強が積み重なった結果だと思っていましたが、これは師父が助けてくださったもので、私の知恵を開いてくださったのだと母は言いました。私は修煉していませんでしたが、師父はいつも私のそばにいてくださったのです。
 
 私は小さいころから体が弱く、いつも薬に囲まれて、天気が少しでも変わると必ず風邪や熱が出ます。大学では病状がひどくなり、同級生は私が薬ばかり飲んでいると笑い飛ばし、毎日たくさんの薬を抱えていましたが、それらを飲み終わっても効果はなく、仕方なく点滴注射をするしかありませんでした。体の免疫力が悪く、口内炎もひどくて、もしかしたら自分は白血病ではないかと疑い、こっそり泣いたこともあります。
 
 ある時、私は電話でまた風邪をひいたと母に言うと、すぐに帰ってきなさいと言われました。そして、真剣に『転法輪』を今からまじめに読むようにと言われました。母は、自分が何年も空を飛んでいて地上で私を背負っている夢を見てきたと言いました。これは師父が、私に諦めるな、私も法のために来たのだと教えてくださったのだと母は悟ったのです。何の疑いもなく、私は法を読み始めました。ある時、読み終えると気分がとても悪くなり、教室を出ると天地が暗くなったと感じ、そのまま教室の外に倒れてしまいました。何秒間が過ぎ、目が覚めたときは周りには誰もおらず、慌てて起き上がると体が軽くなったのを感じました。また、ある時は高熱を出して、ベッドで苦しんでいると、突然ある強い力に体を押されて、瞬時に発正念の姿勢にされ、自分でも不思議に思いながら発正念を終えると、体が軽くなりました。
 
 (続く)
 
2011年02月25日

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