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「80後」の修煉の道——これ以上迷わない(二)

(明慧日本)2004年以来、私は薬とさよならをすることができました。しかし、心性のことにいつも不注意で、ただ法を読めば薬を飲まなくても体が良くなることを知り、行動では常人とまったく変わらず、「80後」(中国で1980年以降に生まれた若者世代を指す)として常人のものに執着し、ネット上の娯楽に魅入られてしまいました。傷が治って痛みを忘れ、時々しか法を読まず、しまいには法を素晴らしい薬とみなし、気分が悪くなれば法を読み、治ると読むのをやめます。思い出せば本当に悲しいことです。
 
 慈悲なる師父は、こんな私を見て再び教えてくれました。私はある夢を見ました。夢の中でみんなどこかに飛んでいき母も行ってしまい、私は大泣きし、慌てて家に帰って探し回れば、大法の書籍がまだある事に気付き、心が落ち着いたのでした。私は驚いて眼が覚め、涙があふれました。私は再び、真剣に『転法輪』や7.20以降の師父の説法も読みましたが、やはり理解できず、読み終えるとすぐに忘れてしまい、読みたくないのです。これは自分がまだ本当に踏み入れていないことを示しています。
 
 このようにわけの分からないまま4,5年が過ぎていき、大学を卒業してもまだ修煉の扉の外で、真相を伝えるどころか、口を開くことすらできなかったのです。
 
 社会に出ると惰性が再び私を制御し、再び法から離れてしまいました。思い返せば、何年もの間、私はずっとこのようにして法の良さを知っていても修煉する気にはなれない状態でした。たくさんの常人のものが私を誘惑していて、インターネット、音楽、買い物など、私はこの中で少しずつ落ちていって、頭の中のすべてが常人の考えであり、修煉の道とどんどん離れてしまいました。母はいつも私に法を読むように言ってくれますが、何度も言ってくるのでうるさく感じ、時には読んだと嘘もつきました。
 
 このような、長期間にわたって精進しない状態で、2008年に彼氏と他地区へ働きに出ました。両親から離れることは一度もなかったので、すぐにたくさんの困難と向き合わなければなりませんでした。時間が経つにつれ、年齢も重ね
 、だんだんと法の大切さを感じることができ、私が法を読めば、生命たちには帰る場所があり、生命たちは私が目を覚ますよういつも自分に呼びかけ続けていると感じました。母の催促なしで、私は自分から進んで法を読むようになりました。
 
 新年になって家に帰ると、ずっと法を敵視していた父がいつの間にか真相を知り、脱退もして一緒に大法の本を抱えていることに気付きました。私もすぐさま、師父の7.20以降の説法を一気に読み終えました。今度はしっかりと頭の中に入り、理解できました。心から深く感動し、たくさんの「天機」を知りました。迫害がいったいどんなものなのか、我々が一体どこから来て、どうしてこの世で彷徨っているのか、そして師父が法を正す手助けをするのは法が我々に与えた責任であることなどを知り、法が与えてくれた利益を味わい楽しむだけで、法のために何かを差し出さない状態ではいられないと知りました。私は、静かに師父の法を読んでいると、まるで師父が私の耳元で話しているかのようで、ゆっくりと頭の中に入り、夢が覚めたかのようでした。
 
 家に帰っている間に私は慌てて何人かの大学の同級生を探し出し、彼女たちに真相を伝え、脱退をしてもらいました。私はついに真相を伝え始めました。今回の里帰りでは、母と修煉における悟りについて交流し、いっぱい精進しました。
 
 休暇期間が終わり、他地区へ戻ると、またすべて自分でやるしかなくなったのです。生活上たくさんの困難に遭い、常人の心が時々自分を左右し、何もせずに楽をしたい心により、時に常人の物的満足感を追ってしまい、手に入れたときには嬉しさを感じ、それができなかったときには失望します。顕示心や嫉妬心も時々表れます。他地区にいるため友達もいないし、さびしいときは友達とパソコンで会話したりしますが、話す内容も物的満足感を満たすことから離れません。他の人たち皆が私より良い生活を送っていて、心がモヤモヤし出し、特に、以前は自分より駄目な人が今は私よりも強くなっていることが堪らず、他人が自慢する所を見ていられなくていつも怒りを感じ、毎日このような心に苦しめられてとても耐え難かったのです。しかし、これに触れると私が制御できなくなるために、誰にも触られませんでした。それに加え、両親を思う心があるために情緒にはまってしまい、抜け出せなくなってしまいました。
 
 慈悲なる師父は、再び私の悟りを開いてくれました。夢の中で自分はたくさんの緑色でネバネバした気持ち悪い糸を口から吐き出していて、どんなに引っ張り出してもきりがなかったのです。目が覚めると、あの気持ち悪いものがまだ残っているかのような感じがして、そろそろなくすべきだと知りました。
 
 (続く) 
 
2011年02月26日


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