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一念の差がもたらす異なる結果

(明慧日本)私は1996年に修煉を始めました。14年間の修煉の中で師父と大法を堅く信じることにより、また、師父の加持と保護のもとで、今日まで歩んできました。今日は、私の修煉で体験したことを書きます。次元が限られているので、不足の部分は同修の慈悲なるご指摘お願いします。
 
 2004年3月中旬、私は同修たちと田舎に真相資料を配りに行きました。バスの中で私は「田舎では外で集まっておしゃべりする人が多いから、真相資料を配りにくいな。雪でも降ってきたら、人々は外出しないから、私たちが一軒一軒回りながら扉に真相資料を挟めたらいいのに」と思いました。その念が生じてからまもなく、車内の人々は「なぜ雪が降っているの? 天気予報では晴れと言ってたのに」と話していました。私が人を救おうとする念が純粋だから、師父と神々は私たちを手伝ってくださるのだと思いました。
 
 バスから降りて、外の大雪を見ながら「私が降らせた雪だ」と歓喜心が出てきました。この執着心はすぐに邪悪に隙に乗じられました。私は突然寒いと感じ、くしゃみも出てきました。私は「寒い、寒い」と7、8回漏らしました。周りの同修は「最もすばらしい衆生を救うことを行っているのに、寒さなんかを感じるわけにはいきません」と話しました。その言葉に悟らされ、すぐ自分の心理状態を調整すると、暖かい流れが体を通るのを感じました。慈悲なる師父が私を見守っていらっしゃると、心から感謝しました。師父は「真相を伝え衆生を救い済度することに旧勢力はあえて反対できません。肝心なのは、何かをする時の心構えにそれらに付け入る隙を与えないようにすることです。」(『二〇〇二年ボストン法会での説法』)とおっしゃいました。このとき、私はこの部分の法に対して理解し、修煉の厳粛さを感じました。雪で外には人がおらず、私たちはすぐ資料を配り終わりました。
 
 ある日、私と夫は用事がありオートバイで出かけました。夫はスピードを出して走りました。角を曲がる時、私の足先が地面の石ころに引っ掛かかり、思わず「痛い」と声を漏らしました。夫はオートバイを止めてどうかと聞いてきました。私は思わず「大丈夫、3日くらいで治る」と話しました。私は直ちに念が正しくないことが分かって、「すぐ治る」と言い直しました。しかし、3日で治る念が出てから、私の足はすぐ腫れて、ちょうど3日経ってから腫れが引きました。当然この3日間、私はやるべきこと、三つのことも家事もできませんでした。このことから私は悟りました。自分が日ごろから学法をよくし、着実に修めていれば、第一念は正しいはずで、この3日間の魔難は存在しなくなります。だから、法をしっかり学ぶことは非常に重要なことです。師父は、正しい念と正しい行いで修める大法弟子を、邪悪はあえて迫害できないとおっしゃいました。
 
 2001年のある日、娘(同修)が電話をかけてきてお腹が非常に痛い、私に発正念してもらいたいと言いました。私は電話を切ってから、発正念をしました(私が監禁されているとき、娘が引っ越して当時はどこに住んでいるか知らなかった)。旧勢力の邪悪な按配を否定し、大法弟子を迫害するすべての邪悪な要素を取り除くと唱えました。たちまち、ピカピカ光る功が地面から1メートルの高さで私のところから出て、大通りと横町を抜けてある家に入り、部屋で体を丸くしている娘に被さりました。実は一瞬で終わった光景でした。発正念が終わってから、娘に電話をしたら、嬉しそうに「パッと全部治った、本当に不思議」と話しました。後で娘の家に行きましたが、家に行く路線、家具などは、その日に見た光景と完全に一致していました。
 
 ある日、夜中にトイレに行こうと起き上がりましたが、突然腰から下が化石のようで何の感覚もなく動きませんでした。私はすぐ発正念をして「私は李先生の弟子で、先生の按配のみ認めます。邪悪の按配はすべて承認しません」と唱えました。私は両手で足を運びながら発正念しました。一歩、二歩、第三歩ですべてが正常になりました。全過程は30秒も経ちませんでした。本当に「弟子正念足りれば、師は回天の力有り」(『洪吟二』「師徒の恩」)でした。着実に修める中で、師父のこの部分の法が実証されました。
 
2011年03月01日


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