青年大法弟子の11年間の歩み(一)
文/中国の大法弟子
(明慧日本)私は25歳の青年大法弟子です。大法を修煉して11年が経ちました。
共産党に統治される社会において、新宇宙と旧宇宙が更新される時期に、偉大な師父の慈悲なる済度のもとに幸運にも大法に出会い、法輪大法を修煉できたことを何よりも幸せに思います。本日、明慧ネットでの交流を通して、自分の修煉の歩みと覚悟を、偉大なる師父に報告し、同修と分かち合いたいと思います。
法を得て謎を破る
幼い頃、毎晩寝る時に目を閉じると、いつも1人の女性が私のそばで微笑みながら私を見守っている様子が見えました。彼女の姿が私にははっきりと見えましたが、そのために様々な疑問が私の中に生まれました。私にはどうしてこの女性が見えたのでしょうか? 彼女はどこから来たのでしょうか? 彼女はなぜ私に微笑んでいるのでしょうか? 様々な疑問に答えが得られないまま、いつしかこの女性を見ることができなくなりました。このような経験から、私はなぜこの世に来たのか、なんのために生きているのかを自分自身に深く問いかけるようになり、星空を仰ぎ見て、天から地まで延びる長いはしごを登って、天上の様子を見てみたいものだと思いました。
成長するにつれて、これらの奇妙な経験の記憶はだんだんと褪せていきました。そして、幼い頃に愛情を注いでくれる人もおらず、兄からはいじめと暴力を受け、私の先天の純粋さは憎しみにとって代わられました。幼い頃、母親と一緒に畑にいた時に車に轢かれましたが、怪我をすることもなく、また川で溺れてたくさん水を飲みましたが、溺れ死ぬことはありませんでした。「大難を受けても、死なない限り、将来は必ず幸せなことが起きる」という話をよく聞きましたが、私は自分に「福」が来るとは信じられませんでした。
1997年、法輪大法が私達の住む地区に伝わってきました。母親は法輪大法の修煉を始め、そのおかげで飲酒と喫煙をやめ、あまり怒らなくなりました。私は功法を教える本の中の師父の写真を見て、不思議と親しみを感じました。それで、母親の真似をして座禅をしてみると、思いがけず、不思議な体験をすることができました。それから、私は返本帰真の大道に入り、1998年に正式に修煉を始めました。そのとき、私は13歳でした。
修煉を始めた後、師父は私の幼い頃の記憶を開いてくださいました。私は、師父のご加護のおかげで、幾度もの大難に遭っても死ななかったのだと分かりました。法輪大法を修煉できることは、私の人生の中で最大の「福」です。修煉が進むにつれて、師父は私の天目を開いてくださり、師父の法身、法輪が時々私の前に現われ、弟子が勇猛精進するように励ましてくださいました。
印象深い出来事として、このようなことがありました。ある冬の暗い朝、学校に行くときのことです。修煉前、私は暗い所を歩くことが苦手でした。しかし、今の私には、師父と天龍八部による法の保護があるから、自分は最も幸せな人であり恐れることはないと思いながら、1人で星と月の光の下で登校しました。学校に着いたとき、校門がまだ開いていなかったため、私は外で静かに待っていました。その間、私は空を見上げていると、黄色い袈裟をかけ、巻き毛をしている2人の巨大な佛が対面で座り、空から小さな私を見つめていることに気付きました。
魔難の前で師と法を信じる
1999年7.20から、形勢が急変し、江沢民は中国共産党と組んで、史上かつてない規模の迫害を発動しました。中国共産党は毎日、テレビで師父と大法を非難する番組を放送し、社会の各階層に圧力をかけ、末端の官吏に大法弟子の家を「巡回」させ、一人一人の大法弟子を密かに監視させました。母親と同修たちも、よく彼らに連行され、拘束されました。父親は共産党の宣伝を信じ、共産党を恐れていたため、私と母親が修煉することに強く反対しました。その時期、私は父親と兄にどれぐらい殴られたか分かりません。
父親と兄に邪魔されずに学法と煉功ができるようにするため、私は家の台所で生活し始めました。台所は数平方メートルしかありませんでしたが、私はかえって水を得た魚のように、精進することができました。夏、台所はサウナのように蒸し暑く、冬は氷室のように冷たかったのですが、私は苦労を感じず、心の中に法があるから、自分が大法の中で修煉できさえすれば、どんな苦労も幸せだと思うようになりました。法輪大法が私にとってどれほど大切か、このことから実感できました。夜、父親は電気をつけることを許さなかったので、私は父親と兄がテレビを見ているとき、ガラス越しに入って来る光の下で学法しました。ときには、私は出かけて同修たちと一緒に学法と煉功を行い、師父の新しい経文を写して、周辺地区の同修に配りました。ある日、夜遅くに同修の家から帰ってきたとき、家族に締め出されてしまったため、壁を越えて部屋に入りました。このような毎日でしたが、大法の中で体験したことや同修たちと共にいるときの楽しさを思い出し、心は喜びに満ちあふれました。
ある日、私は同修の家へ煉功に行くとき、兄に見つかり、連れ帰られました。しかし、私は庭で空の星を仰ぎ見ながら、心の中で「自分が学法することと煉功のために出かけることは間違っているでしょうか? 彼らに妨害されてもいいでしょうか?」と考え、師父に加持を求めた後、煉功に行くことにしました。同修と煉功している時、第二式「法輪椿法」の両手を小腹部に重ねる動作を行っているとき、突然、法輪が私を加持して私の腕を回しました。私の選択が正しかったので、師父は私を励まして下さいました。師父はいつも私のそばにいらっしゃるのです。
その後、中国共産党の迫害はますます激しくなり、ときには同修たちが農作業をやっている途中、共産党員に連行されることもありました。父親は、次から次に現われる妨害と圧力のもとで耐え切れず、母親が監禁されたある日、農薬を飲み自殺をはかりました。当時、家には私と父親の2人しかいませんでした。その日の夜、私は台所に入り、父親は外の部屋で座っていました。私は父親が普段と違い、なにか変だと感じて、父親の所に行きました。父親は「私が死んだら、あなたは私を思い偲んでくれますか」と聞きました。父親のこの意外な問いかけに、私はちょっとして「はい」と答えました。すると、父親は涙を流して、毒薬を飲んだことを話し、私の前で全身を痙攣させ、口から大量の白いよだれを吐いて、全身が硬くなって倒れました。突然のことに、まだ十数歳の私はどうすれば良いか分からず、急いで叔父さんを呼びました。叔父さんは急いで父親を病院に送り、私は家の前で夜光の中に消えた彼らを見送りました。
部屋に戻って、私は静かに一人で座り、共産党に連行された母親を思い、また父親を思って心がなかなか落ち着きませんでした。しかし、私は大法弟子ですから、1人が煉功をしていれば家族にも大きな恩恵をもたらすはずだと思い直し、自分のこの良くない考えを抑制し、思想業力を取り除こうとしましたが、1つの強大かつ無形の圧力と対決しているように感じました。そのとき、佛号を念じることに関する師父の経文が私の頭の中に現われました。私は「李洪志先生」、「真・善・忍」と念じました。どのくらいの時間が経ったでしょうか。気がつくと、荒れ狂う勢いで乱れていた雑念が消え、広大な平原の上に立っているような、奇妙かつ美しい感覚、幸福感を感じ、心は平静で、私の顔には喜びの笑みが浮かびました。このとき、私は父親が師父の慈悲なる加護のもとで救われたことが分かりました。
しばらくして、母親も家に帰ってきました。母親は父親に会うと、第一念で「師を信じ、法を信じ、最後まで修煉する」という念を発しました。母親は、家族がこの迫害の中で多くのことに耐え、自分の修煉が良くできなければ家族に申し訳ない、と話してくれました。父親と兄は、大法の真相が分かったため、三退を表明しました。
(続く)
2011年03月06日
(English:http://www.clearwisdom.net/html/articles/2011/2/7/123106.html)
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