■日本明慧 http://jp.minghui.org/2011/03/06/mh074812.html 



自分を修煉者とみなし、常人の心を本当に捨てられるかどうか

文/中国の大法弟子・蓮園

(明慧日本)先日、夫の妹とその子供から、家に遊びに行きたいという電話がありましたが、関係がうまくいっていないため、長年行き来をしておらず、夫だけが連絡を取っていました。私は、遊びに来ると言われた時、気分がよくありませんでした。来てほしくない、彼らに会いたくない、自分の時間を無駄にしたくないと思い、夫にこう言いました。「会いたければ、行けばいいのに、家に来てほしくないわ」
 
 そう言った後、これは修煉者が言うべき言葉ではないと感じました。彼らが突然来たら、仕方がありませんが、気分がよいものではありません。しかし、修煉者としては、まったく会わないわけにはいきません。仕事に行こうとしたとき、夫は「今日、姉が来ると電話してきた」と言い、買い物を頼まれましたが、「時間がない、あなたたちでなんとかして」と言って仕事に行きました。
 
 仕事が終わる頃、子供だけだったら家に戻るけど、夫の姉が来るなら帰らないと思いました。そして、電話で夫に確認すると、夫の姉と子供がもう来たと知りました。夫は私からの電話と知ってすぐにベランダに行き「用事があるなら外で食べてきていいよ。私から話しておくから」と言いました。
 
 電話を切って、心が不安になりました。正月なのに、ご飯を買って会社で食べるのはおかしいし、でも家には帰りたくないと葛藤していました。内へ向かって探すと、メンツを気にして、自尊心と憎しみの心からこうなったので、これは修煉者の状態ではなく、まだ常人の心を放棄できていないと思いました。私は家に帰ろう、現実に直面して、自我を放棄し、真の修煉者になろうと家に向かいました。途中で、頑固な執着心という物質を取り除くよう師父に加持を求め、これは本当の私ではなく、先天の私は純粋だ、旧宇宙が私に強いたものはいらない、と心の中で考えました。
 
 家についたとき、すでにご飯を食べ終えていた夫の姉は、先に食べたと言って申し訳なさそうでした。私が帰ってきたと家族が喜んでいたので、また驚きました。私は残ったご飯を食べながら、彼らと話をしました。その後、法輪功の真相を話しました。彼らは三退をしましたが、まだ真相をはっきりと知っているわけではありませんでした。危険に遭ったとき「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」と念じれば、師父は守ってくださいますと教え、彼らは信じました。
 
 この事を通して、もう一度啓示を受けました。放棄したくないものがあっても放棄しなければなりません。自分を騙しても師父をごまかせません。なぜなら、私たちは汚い物を持って円満成就できないからです、それは「真・善・忍」の基準に合わないからです。修煉の中で、常人の心を放棄することは難しくなく、肝心なのはそのとき放棄したいかどうか、自分を修煉者と悟るかどうかです。自分を真の修煉者と見なすなら、突破できない関と難はありません。旧宇宙の原因で、心の中で矛盾があった時、まず自分を守り、自分の心が苦痛を受けないように考え、他人はどう感じるかどうかを考えないのです。執着している物を心の奥に隠して、守り、放棄しようとしません。これは、師父が要求しておられる「無私無我、他の人を先に、自分を後に」の障碍になっています。
 
2011年03月06日


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