■日本明慧 http://jp.minghui.org/2011/03/08/mh094937.html 



青年大法弟子の11年間の歩み(三)

文/中国の大法弟子

(明慧日本)
 
 自我を実証する私心を放下する
 
 ある日、私は出稼ぎに行き、ある女性の同修が経営する会社で大型トラックを運転する仕事をしました。ある日、同修の家で結婚式があるため、同修たちはこれをきっかけに法会(交流会)を開こうとしました。私たちはすべての同修に連絡し、日程と場所を全部決めました。
 
 私の雇い主もこの法会に参加することを知りました。同修ですから、私は法会の日に仕事の休暇を雇い主である同修に申し込み、許可を得ました。しかし法会の当日、私が連絡した同修たちを迎えるとき、突然トラックの手配人に仕事をあてがわれ、法会に行くことができなくなりました。そのとき私の心は大きく揺れ、この同修に不満を持ちましたが、考えを変え、修煉者に偶然なことはなく、必ず心を修める要素があると思いました。私は内に向かって探し、一瞬の間に自分を証明したいと思う私心を見つけました。今回、法会の規模が大きく、参加する学習者も多いため、自分は他の協調人に対し、私たちの地区に同修がどれくらいいるのかを誇示したいと思い、また自分がどれぐらい同修に連絡したかなどを示したいとも思いました。慈悲なる師父はこの機会を借りて深く隠れたこの私心を暴露して悟らせて下さいました。
 
 確かに師父が『再認識』という経文の中でおっしゃったように「 皆さん、ご存知ですか? あなたが修煉者でありさえすれば、いかなる環境、いかなる状況下でも、遭遇したいかなる厄介なことや不愉快なこと、ひいては大法の仕事のためであっても、皆さんが思っているどれほど良いことや、どれほど神聖なことであっても、わたしはそれらを利用して皆さんの執着心を取り除き、皆さんの魔性を暴露させ、それを取り去っているのです」 また「大法のいかなる仕事も、人に法を得させ、弟子を向上させるためであり、この二つを除けば、何の意味もありません」(『はっきりと目覚めよ』)このとき、心から師父の慈悲と偉大さ、師父が常に弟子のそばで加護して下さっていることに感嘆しました。自我を証明する私心を持って法会に参加するのでは向上できず、逆に魔難が増えます。本当に師父のおっしゃった通り、修煉の道において出遇った事は全て良いことです。師父は弟子に責任を持ち、弟子にこの危険な人心を取り除くことを指摘されました。今回のことは私にとってまたひとたびの向上と飛躍と言えるのではないでしょうか?
 
 協調人としては、全体の向上と昇華が重要です。協調人として連絡係の役割を果たすだけで、責任と目的を達成したので、自分が法会に参加するか否かは重要ではなく、これも師父が要求されたことです。実際、修煉者たちの全体的な協調は一人一人の大法弟子の協力によって守られているのです。自分の顕示心を放下しなければなりません。
 
 その後、同修の話から、今回の法会が大成功したことを知りました。皆で発正念を行い、結婚式の披露宴で司会は大法の音楽を流しました。このようなことは、中国本土の同修にとっては極めて貴重なことでした。同修たちは知り合いでなくとも、同じく師に手伝って法を正す道を歩む修煉者ですから、会うと皆とても親切だと感じたそうです。さらに、久しぶりに会った同修たちからは感動の涙が流れたと聞きました。
 
 1つの小さな花が咲いた
 
 師父の法を正すことの進展と大法弟子の成熟につれて、多くの同修は家庭資料拠点を立ち上げ、まるで万の花が咲き広がっているようです。2010年の初め、師父の慈悲なる按排の下で、私は同修の助けで資料拠点を設け、万の花の中にある1つの小さい花を咲かせました。
 
 しばらくして、私たちの地区の協調人は中国共産党の迫害を暴露する文書を明慧ネットに発表しました。私は、周りの同修が迫害された事実が報道されていなかったことに気が付き、同修の当時の状況と自分の経験も集めて書き、明慧ネットに発表しました。これは師父からの励ましだと思いました。本日、この場を借りて、明慧ネットに携わる同修の無私の働きに感謝します。
 
 数年の歩みを振り返って見て、回り道をしたこともよくありましたが、慈悲なる師父は私のようなしっかりしていない弟子を見放されませんでした。師父の慈悲なる済度の下で、弟子は徐々に成熟してきました。今後、三つのことをしっかり行って精進し、最後までしっかり歩みます。弟子から偉大なる師父の慈悲な救い済度を感謝いたします。師に手伝って法を正す同修たちにも敬意を表します。
 
 (完)
 
2011年03月08日


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