正念の下で 大法の威力が現れた(一)
文/中国の大法弟子
(明慧日本)数年来の修煉を経て、私は他のたくさんの同修と同じく、正しい念、正しい行いの中で大法の奇跡を体験しました。次に私の例をお話しします。
一、正念で悪人を制止する
2008年8月、私は中国東北地方のある労働教養所の中で、特殊な部屋に監禁されました。ある日、部屋の中の同修が学法している時、他の所から人が殴られていると叫ぶ声が聞こえました。これはきっと拷問されているのだと分かりました。この迫害は、私たち同修が全体になって制止しなければならないと認識しました。このような特殊な部屋は5つあり、計25人の大法弟子が中に監禁されています。この25人は即時に扉をたたきながら大声で叫びました「人を殴ってはいけません、やめてください!」牢屋全体的に声が響きわたって、警察は困りました。それから、私たちは一斉に『論語』を暗唱しました。
2、3分後、当所の護衛隊全体の男性警官が殺到し、大法弟子を外に引きずりだそうとしました。いつも外に出されると必ず拷問されるため、今回は絶対にさせてはいけないと思いました。私の部屋の扉が突然開けられ、二人の警官が入ってきました。私は恐れず、落ち着いて、警官の慌てた姿を見て笑いました。自分は関係ないような気持ちでした。警官が同修の燕子さんを掴んで、暴力を振るった時に、私は立ち上がって両手で警官の腕を抱きしめて、相手の目を見つめて話しました。「あなたは国の公務員であり、なぜ人を虐めるのですか。道徳を忘れたのですか」
すると、警官は燕子さんを放して、突然私の腕を掴みました。私は慌てず彼を見て微笑みました。警官の両手が私の腕を掴んで私の腕をまっすぐにして、何をするか分からなくなったようで、しばらくして警官の顔が真っ赤になりました。私は続けて見て笑顔でいると、警官の顔が一層赤くなり、しばらくして黙って帰りました。それからやっと、さっきは警官が私の腕を後ろに曲げるつもりだったのができなかったのだと分かりました。若い警官なのに、なぜ私のようなお婆さんを動かすことができなかったのでしょうか? 正念の下で、大法の威力が現れたのです。
二、正念を持って難関を乗り越える
2005年7月、南部で働く同修達に『共産党についての九つの評論』を読ませ、師父の説法と大法資料を渡すため、私はパソコンを持って行こうと思いました。
当時、通行人に対する検査が厳しかったので、身分証明証を持っていなかったため、親戚の検査免除車で行こうとしました。しかし、私は帰り道で、今回また親戚に世話になるのは悪いと思って、大法弟子にできないことはない、堂々と帰らなければならないと決心しました。私は持っているパソコンを何の処理もしていしていませんが、きっと家まで帰られると信じていました。検査の直前20分前に、乗務員は検査にご協力くださいというアナウンスが流れてきました。私は落ち着いて、正念を発しました。「私が乗っているバスを検査してはいけません。邪悪の妨害を解体します」
結局、検査の時に、広場に2台のバスがあって、乗客が徐々に並んで検査を受けていましたが、私の乗っているバスはそのまま通過できました。
三、正念を持って脱出する
2006年4月、私の地域のたくさんの資料作成拠点が破壊され、私の資料拠点も波壊されました。大量の設備、大法の資料が奪われました。派出所の中で、私は何も言わず、サインもせず、真相だけを話して、誰も私の名前を知らなかったのです。警官らは私を鉄の椅子に座らせて拷問しました。所長が「言わなくても構わない、すべてお前に責任を取らせるぞ」と叫びました。私は心の中で、あなたの言うことは利かないと思いました。
四日目、警官らは私を他地区の留置場へ送りこみました。窓から外の鳥を見て、私をここに閉じ込められるはずがない、と思いました。私は邪悪を認めず、毎日のように法を暗唱、煉功、発正念、真相を伝え、7人が三退しました。その時、私は食べず飲まずの状態で、私は断食して迫害を制止しなければならないと悟りました。しかし、これまで私は何度も断食したことがあって、とても辛かったので、なかなか決心できませんでした。
一カ月後、私はもとの現地留置場にまた移送され、それから四日目、昼食時に突然食べたくない、飲みたくない状態が続かなくなりました。これにより、私に苦を恐れる心があったと悟りました。それから断食して、同時に法を暗唱、煉功、発正念、真相を伝えることを相変わらず続けました。
(続く)
(明慧ネット「神が人間界にいる」応募原稿)
2011年03月12日
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