■日本明慧 http://jp.minghui.org/2011/03/20/mh210754.html 



至る所に現われた奇跡(一)

文/中国の大法弟子・福稷

(明慧日本)25歳の私は幸いにも、1995年5月20日に法輪大法に出会って、16年間にわたって精進に努めて来ました。たとえ血なまぐさい迫害の中で、残酷に拷問されて人間のすべてを失ったとしても、私は師父について修煉することに無比なる光栄と幸福を感じました。その中で歩んできた一歩一歩は皆、師父の啓発と加持及びご加護を欠かせませんでした。私は天目が開いてはいませんが、修煉を続ける中で師父の恩を感じました。
 
 私が経験したいくつかのことで、師父の偉大さと大法の超常さを実証します。
 
 一瞬ふわりと浮き漂い、苦痛は何もなかった
 
 2005年5月1日、私は邪悪な中共(中国共産党)の監視と追跡を避け、幾多の曲折と奔走を経て再び天安門広場に来ました。私は大法の一粒子ですから、師父と大法が無実の罪を着せられて、世人が毒害されて真相が分からないとき、外に出て大法を保護することは、大法弟子一人一人の神聖な責任であり、そうしなければ私は自分の生命が枯れてしまうと思います。
 
 私は師父の法を暗唱し、恐怖心を排除しながら、黒山の人だかりの天安門広場で結印と座禅をし、大法弟子の正のイメージを世人の前で現すとき、自分は特に高くて大きく、こんなに大きな広場に私1人だけが残っているように感じました。いつのまにか、私は2人の中共武装警官に連行され、警察署に送られました。警察署内では、各地の大法弟子が大勢送られてきて、次から次へと連行されていきました。
 
 私は直訴をする以外、すべての尋問に答えませんでした。警官は卑劣な目的を達成するために、夜、私に「宝剣を背負う」という残酷な刑を施し、即ち片方の手を背中へ持ち上げ、もう片方の手は肩から背中へ下げて手錠を掛けようとしましたが、両手の腕の距離があるためなかなか掛けられず、警官らは強い力で両手を引きました。私の肩は断裂したように激痛が走りましたが、その後、暖流が全身に流れ、骨が瞬時に軟らかくなったように激痛が軽減しました。
 
 しかし、警官はいっそう私を虐待し、私を馬のように立たせて、頭を上に上げました。警官の1人は私の足を踏み、ときには手のひらで打ったり、握りこぶしで殴ったりし、他の1人は私の手を掴んで手錠を揺らしました。手錠を揺らせば揺らすほどきつく筋肉に食い込みました。その辛さは言葉では言い表せないほどです。また、身体の大きい警官は私を蹴り倒し、その後私を引き上げ、身体の小さい警官が一本のタバコに火をつけて、私の鼻に入れました。言葉では言い表せないほどの痛みで辛く、その辛さが酷くなり・・・全身に豆粒ほどの汗が流れ、タバコの煙で、涙と汗が顔に止めどなく流れました。
 
 このように迫害されても、私の心の中には怨恨がなく、これまでと少しも変わらない穏やかさで、また妥協も考えませんでした。しかし、あまりに辛すぎて、私は「たとえほんの少しでもいいから、手錠を少し緩めてくれたらいいのに」と思いましたが、さらに辛くなりました。これは人間の観念だと気がついたとき、度胸を決めて、宇宙の真理のために、死んでも惜しくないと思いました。師父の法「生きて求める所無く、死して留まるを惜しまず、妄念を蕩尽すれば、佛を修するは難しからず」(『洪吟・無存』)が私の頭の中にこだまし、徐々に私は肉体の苦痛を超越し、その瞬間、身体がふわりと浮き漂って苦痛を感じませんでした。
 
 その後、警官は手錠をはずしました。私は地獄の入り口から戻ってきたように全身が虚脱し、両手も麻痺していて、意識を失いました。翌日、私は地元に送られました。4カ月後、完全に回復しました。
 
 (続く)
 
 (明慧ネット「神が人間界にいる」応募原稿)
 
2011年03月20日


明慧ネット:jp.minghui.org