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法の中で真に修める弟子に奇跡が現れ、使命を果たす道が天まで開く(一)

文/中国の大法弟子

(明慧日本)
 
 前書き
 
 河南省のある農村の大法弟子たちは法輪功を修煉し始めてから、師父を信じ、法を信じ、法を師として精進し、着実に修めてきました。中共(中国共産党)が迫害を始めた後は、同修と互いに助け合いながら、三つのことを着実に行い、衆生を救い済度する中で、法を実証してきました。10数年間、彼女たちは昼も夜も、厳寒の冬も、酷暑の夏も、都市から田舎まで、近い所から遠い農村まで、すべての地区を歩き回りました。毎日20〜30キロ歩いて、真相資料を全ての家に届け、中共の宣伝に騙されている現地の民衆に希望を届けてきました。不思議なことに、この10数年の間、最初のころ法を実証するために北京に行ってある程度の迫害を受けた以外、彼女たちは正しい念と正しい行いにより、法を実証し、衆生を救う道を穏健に歩いてくることができました。
 
 彼女たちは個人修煉と法を実証する過程で、皆が多くの不思議なことを経験してきました。今ここでそれを書き出し、皆さんと交流しようと思います。
 
 その一:一心不乱に法を学び、飛ぶように空中を歩く
 
 同修のAさんは修煉を始めて間もないある日、家でマントウ(饅頭)を蒸すため火をつけたまま、師父の洪法ビデオを見るため、急いで外出しました。ビデオを見ながら師父のおっしゃっていることは本当に素晴らしいと思い、全身が法に溶けこみ、私心や雑念がなくなりました。見終わったときに、ふと火をつけたまま家を出てきてしまったことを思い出して、急いで家へ走りだしました。数歩走ったときに、突然Aさんの体が軽くなって、地面から30センチくらいの高さに浮き上がり、100メートルほど飛んで行きました。家に着いて見ると、蒸し鍋の水はもうすぐなくなるところでした。Aさんはこれを師父の自分に対する励ましだと思い、さらに精進するようになりました。他の同修にも似たような経験があります。
 
 その二:文盲の修煉者が『転法輪』を通読でき、不思議な光をみた
 
 60歳すぎの同修Bさんは学校へ行ったことがなく、文字が読めず「男・女」の字と、自分の姓以外の文字を知りませんでした。修煉を始めてからBさんは、法は素晴らしいと思い、法を学びたい、字を学ぼうと決心しました。ある夜、彼女は師父から大きな1冊の本をいただく夢を見て、両手をあげました。目が覚めた後、再び『転法輪』を読むと、すべての字は不思議な光を放ち、異なる字が異なる色の光を放っていました。夜の学法のときは、読んでいる行が特別に明るくなっていました。彼女は師父に励まされて努力して『転法輪』を短い間に全部通読することができました。他のまだ字が読めない同修も『転法輪』の字は全て七色の不思議な光に包まれて、きわめて玄妙に見えたと言いました。
 
 その三:なくなった親指が、大法によって奇跡的に復活した
 
 同修のCさんはある工場に勤め、主に鉄板を圧して切断する仕事をしていました。ある日、Cさんは長時間作業のせいで、うっかりして不注意で、親指をパンチプレスに入れてしまいました。考えてみてください。パンチプレスの力は60トンに達します。Cさんの親指の第1関節までは、強い力で切り落されて、影も形もなくなってしまいました。Cさんはその時痛みを感じず、ただ作業台の上の血痕を見て、事故が起きたことを知ったそうです。Cさんが指を見ると、親指は半分しか残っていませんでした。そばの同僚はすぐに彼女を工場の診察室に送りました。職場の医者は処置をしてからCさんを大病院に送りました。送り先の病院も治療のしようがなく、親指をきれいに洗った後、薬を塗って包帯で包む簡単な処置をして家に帰しました。
 
 工場長は驚いて顔色が真っ青になり、Cさんにいくらかの見舞金を出すと言いましたが、彼女は事故の責任は工場にはなく、本人の不注意で起きたことなので工場に迷惑をかけるつもりはないと言い、自分は法輪功を修煉しているので、工場から余分なものはもらうことはできないと断りました。Cさんは家に帰った後、法を学び、煉功を続け、家事をするなど全て事故の前と同じ生活をしていました。不思議なことに彼女の手は痛みもなく、感染症もなく、ただ仕事をする時に少し不便を感じるだけでした。
 
 2、3カ月過ぎた後、ある同修がCさんに指のことを聞いて見ると、Cさんの親指は不思議に延びて、爪まで生えてきており、傷も見当たりませんでした。同修達は皆大法の威力に感動し、Cさんが心を放下したので、奇跡が起きたと言いました。
 
 その四:師と法を強く信じ、正念で病魔を否定する
 
 ある年のある日、同修の丁さん一家は彼女の家に集まって会議を開き、半身不随の老人の扶養について相談しました。丁さんは自分の家では、階段ものぼれない老人の介護は難しいので、平屋のアパートを借りて介護をすると言いました。この彼女の高尚な態度は、意外にも兄弟の妻同士の不平不満を招きました。彼女らは「丁さんがこれほど高潔な態度を表すなら、丁さんと比較される私たちの立場がない」と嫉妬心から不満をもらし、不機嫌になりました。丁さんは穏やかな心理を保ち、彼らと是非を論じませんでした。この時、ちょうど常人の夫が帰ってきたので、丁さんは部屋を離れ、隣の部屋の床に座って、壁越しに聞こえてくる口論を聞きながら、常人は本当に情けないなと思いました。すると突然、丁さんは全身に力が入らず、気分が悪くなって地面に倒れそうになりました。その瞬間、彼女は「私は大法弟子で、李先生の弟子です。倒れてしまっては、大法に泥を塗ることになります。常人に『修煉者の心は狭い』と思われてしまいます。私は立つことができる」と内心から正念を発すると、瞬時に体は正常に回復し、まるで何事もなかったようになりました。「物事の善し悪しは人間の一念によるものであり、その一念の違いによって異なる結果がもたらされることがある、とわれわれは言います」(『転法輪』)丁さんは自分の意念を正し、純粋な一念によって病魔を否定して、大法の威力を実証しました。
 
 (続く)
 
 (明慧ネット「神が人間界にいる」応募原稿)
 
2011年03月21日


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