■日本明慧 http://jp.minghui.org/2011/03/23/mh232196.html 



善の心が世人を変える

(明慧日本)師父は「ですから、慈悲が現れると、この上ない力があり」(『二〇〇九年ワシントンDC国際法会での説法」)とおっしゃいました。先日ある年配の同修が、ある共産党員を善の心によって救い出したと聞き、私は以前の経験を思い出し、とても感慨を覚えました。
 
 私の同僚は、中共(中国共産党)の官僚の子供です。私は、何度も彼女に真相を話しましたが、真剣に聞き入れてくれませんでした。ある日、彼女は仕事でミスをして、客が彼女の上司にクレームをつけてきました。彼女はこのことを不満に思っていましたが、私は彼女が会社から罰せれるのではないかととても心配しました。彼女は新卒の大学生で、これ程のストレスには耐えられないかもしれないと思うと、急に私の目から涙が落ちてきました。私は彼女に、客に文句をつけず自分の過ちを素直に認めるべきで、もし会社から処分を受けても、それを素直に受け入れた方が良いと勧めました。私は真心から人の為だけを思って彼女に忠告したので、彼女は私の善の心を感じたようでした。彼女は「あなたは本当にやさしいですね、私は大丈夫です。あなたの言う通りにしますから、どうか泣かないでください」と言い、私を慰めてくれました。その後、この問題はうまく解決され、この同僚も変わりました。彼女は毎日私に元気よく挨拶して、真相を自分の家族にも伝えました。
 
 この件から私はいろいろ考えました。時に、自分の言うことが本当に正しいのに、常人はぜんぜん理解してくれないことがあります。実はその時、常人の理屈から人を説得しており、いくら道理が正しくても慈悲のエネルギーはなく、人を動かすことはできないのです。特に、よい生活をして、物事が万事順調にいっている人は最も話を聞いてくれません。今の人類は道徳水準が低下して、特に、中国では神や佛の存在を信じていないので、いくら道理や道徳をもって説得しても、自分の利益と関係なければ本当に信じないのです。しかし、慈悲心をもって相手と接することができれば、相手はあなたの善の力に包みこまれて、その力に動かされるため、理屈は重要でなくなります。もちろんこの慈悲心は求めて出せるものではなく、修煉の中で自然とついてきたものです。修煉者が慈悲心を持って、正しい念で人心を捨てて、真に相手の為を考えることができて初めて、慈悲の作用が働き、人を救うことができるのです。
 
 個人的な感想であり、同修との交流になればと思います。
 
2011年03月23日


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