■日本明慧 http://jp.minghui.org/2011/03/27/mh283250.html 



法をよく学び、師を手伝って法を正す道をしっかり歩む(一)

文/遼寧省の大法弟子 求実

(明慧日本)法輪大法の修煉を始めた私は、心性に巨大な変化が現れ、1日たりとも大法から離れたことがありません。私は宇宙大法によって作られた一生命であり、師父の按排に従い、師に手伝って法を正す歴史的使命をしっかり果たすように修煉に励んできました。
 
 一、修煉を始めてからの心身の変化
 
 私は68歳です。1996年の初め、会社の同僚と一緒に五つの功法を学びました。その年の3月、私は市の二期目の学法に参加しました。雪が降っている寒い日に、学法先からの帰宅途中、トイレに行きたくなり、家へ走って帰ると、嘔吐と下痢をしました。私は、師父が多くの病気を患っていた私の身体を浄化してくださり、病業の多くを消してくださったのだと分かりました。
 
 私は修煉を始めてから14年半の間、薬を一錠も飲んだことがなく、元気いっぱいです。真相資料を配るとき、いくら高いマンションに上っても疲れませんし、家事や、孫の世話、買い物など何でもやりました。子供たちは私の変化を見て喜び、大法のすばらしさと不思議さを信じました。
 
 私は修煉を始めるとすぐに、師父が説かれた法と同じ状態が現れました。座禅をするとき、体が地を離れるように感じ、站椿(第二式の功法)を練習するとき、目の前に大きな目が現われ、私を驚かせました。まぶたの上下や眉根のところに小さな目があり、右目の下だけにはありませんでした。また、肉を生臭いと感じてしばらく食べることができなくなり、ねぎ、生姜、ニンニクを食べると胸焼けがしました。また、座禅をするとき、体がなくなってどこにいったのかも分からなくなり、しばらくして戻ってきたように感じました。師父が『転法輪』の中でおっしゃったとおりの現象が現われたので、私は師を信じ、法を信じ、修煉に対する自信が深まりました。修煉を始めてすぐのときから、頭の中や心の中では何も考えず、真っ白でした。
 
 二、学法して心を修める
 
 「絶えず執着心を取り除くことこそ人間の修煉の過程のすべてです」(『転法輪』)
 
 私は、修煉を始めてからは毎日大法とつながり、私の宝物である『転法輪』、『精進要旨』と経文をむさぼるように拝読し、「真・善・忍」の基準に基づいて自分の心性を律し、多くの執着心を取り除き、名、利、情も淡々と見るようになりました。1996年、私は会計師の昇進試験のため勉強に時間を費やしていましたが、会社の新しいリーダーは毎日会議を行なっていました。私は会社に協力するため、自分の昇進のチャンスを放棄しました。
 
 ある日、私が階段を降りていると、徐さんという人が、私に平手打ちを食らわしました。私は『転法輪』の「あなたが最も面子を失いたくない人の前で、誰かがあなたに平手打ちを食らわして、恥をかかすようなことが将来起きるかも知れません。果してあなたはそれにどう対処しますか。果して耐えられるかどうか。一応は耐えられたとしても、内心では落ちつかないようでしたら、それでも駄目です」を思い出し、怒らずに黙りました。会社のリーダーは私を呼んで慰めてくれました。私は「法輪大法の修煉者ですから辛抱できます」と言いました。帰宅した私の腫れた顔を見て、息子がわけを聞きましたが、私は人に打たれたことを言いませんでした。翌日、私はいつも通りに出勤しました。
 
 ある日、薬局で薬の点検を手伝っているとき、階段から転倒しましたが、師父の保護の下で、私はふわりと浮き漂ったように、すぐに立ち上がることができ、まったく怪我をしませんでした。
 
 私は1998年に定年退職しましたが、学法と煉功を、1日たりとも怠ったことはありません。
 
 (続く)
 
2011年03月27日


明慧ネット:jp.minghui.org