私が体験した奇跡(一) 文/中国江蘇省の大法弟子 正行
(明慧日本)
幼少時代の体験
私は小さい時から天目が開いていました。暗い部屋の中で、自分の天目から、美しい花、さまざまな模様が宙に漂っている素晴らしい光景を見ることができました。私は誰にも言ったことはなく、その状態が2年ほど続いて、その後、だんだん見えなくなりました。
当時、「駈け上る竜」という不思議な天象がまだ時々現れていました。「駈け上る竜」とは何でしょうか。空に突然、竜の形をした雲が現れ、竜の体は雲の中に隠れて、尾は湖にあり、そして、巨大な水柱が湖面から空まで逆流する現象です。大人たちは「駈け上る竜」を見ると怖くて家に走って逃げ帰りますが、私は逆に興味津々に家から出て見に行きます。私は何度も本当の竜を見たことがあり、何種類もあって色はそれぞれ異なっています。普通、竜が通過する所には烈風が吹き荒れますが、私の村の上空まで来るといったん風が止まって、村を通り過ぎると、また烈風が吹き荒れます。私が竜を目撃したことを両親に話すと、父に厳しく叱られ、今後は「駈け上る竜」を見に行ってはならない、見たことを何も喋ってはならないと決められてしまいました。父の心境は理解できませんでしたが、それからはなぜかその現象はあまり起こらなくなりました。
法輪大法の修煉を始める
我が家の生活はずっと苦しい状態でしたが、私の内心の苦しみはさらに重いものでした。私はずっと人生の真の意義を探し続け、佛教やキリスト教の本を読んでも、それは自分の欲しているものではありませんでした。1999年7.20、テレビのニュースで「法輪功」の三文字を耳にした時、幼少時代に見た光景がなぜか再び記憶に蘇りました。法輪功は絶対に通常ものではないと認識し、それに対する憧れはますます強くなりました。
2002年の春、偶然にある女性の大法弟子が一般の人に真相を伝えているところを目撃して、私はその場で彼女に「法輪功の本を読みたい」と頼みました。そして、数日後、『転法輪』をめくって見ると、まず私の目に映ったのは師父の三次元の立体写真でした。実は、その立体写真よりももっとはっきり見えていました。師父は写真から出ていらっしゃって、私を直視されていたのです。どれだけ大切なものを得たのか、私は瞬間に分かりました。その同修に「私は、私の生命すべてをもってしても、この本の中の一文字にも及びません」と言いました。
長い年月が経っても、はじめて大法に出会った時の一シーンはずっと鮮明に憶えています。その後の個人修煉の中でも、刑務所で残虐な拷問を加えられた時でも、同修を救援するために困難を乗り超える時でも、そのシーンを思い出すたびに、私はいつも感激の涙があふれてきて、師父の慈悲で期待に満ちた眼差しは、私に正念と勇気を与えてくださいます。
邪念を取り除く
初期の頃はどのように修煉するかが分からず、毎日、たくさんの質問を同修にしていました。私にいろいろと教えてくれたのは、とても美しく、年齢も近い女性の同修でした。幼い時から苦しみばかりの中で成長してきた私は、善良な優しさに包まれる気持ちを一度も味わったことがなく、だんだんと彼女に対して友情が生じ、実は色欲の邪念が生じたのです。
ある日、彼女と2人きりで交流した時、内心ではすでに妄想をしていました。その時、彼女は『法輪功』の本を私にと持って来てくれました。私はそれを開けて目に映ったのは、師父ご一家の記念写真でした。その時、私はまたさらに神聖な一シーンを見ました。師父は写真の外に出られて厳粛な表情で私を見ていらっしゃいました。その一瞬、私は分かりました。私たち人間は、1つの家庭に1人の夫、1人の妻であるべきで、このルールを破れば人間になる資格も失い、妄想を走らせる人は神聖な法輪大法を修煉する資格はないなどの道理を、師父は身をもって、写真を通じて我々に手本を示されたのです。私は直ちに師父に謝り、そして、自分の不潔な思想を取り除いてくださるように師父にお願いしました。その時、一つの業力と不潔な思想からなる、私の形象をした黒い人影が、私の体から押し出されるのが見えました。私の感動と驚きはいかなる言葉でも形容できません。あれ以来、色欲の心は完全になくなりました。師父は私の背中を押して、色欲の関を通過させてくださったのだと私は分かっています。
「ずっと眠っていないのに、どうしてこんなに元気なのか?」
私にとって、一番大きい執着は恐怖心でした。恐怖心は旧勢力が我々に押しつけた物質です。旧勢力とは何か、旧勢力の按排とは何かを認識する前に、恐怖心を突破することは、私にとってまるで天に登ることよりも難しかったのです。私たちは労働教養所では昼間、絶え間なく訓練を強いられ、体操をし、夜は眠ることができず、転向しなければ一晩中立たされます。教養所に入った当初、どうすればよいかが分からず、毎日びくびくしていました。師父はそばにいらっしゃり、慈悲深く私を見守ってくださっているのは分かっていましたが、やはりとても恐れました。私はなす術もなく、ただいつも心の中で、「師父」「師父」「師父」と呼ぶことしかできませんでした。
本当は短かったのですが、とても長く感じたあの辛い日々が過ぎたころ、ある日、警官が私を呼び出していろいろ質問しました。
「ここに来てどれくらい経ったのか」
「ほぼ40日です」
「どれくらい眠ったのか」
「一度も眠ったことはありません」
「では、ずっと眠っていないのに、どうしておまえはこんなに元気なのか」
警官の話で、私は40日以上眠っていない事実に急に気がついて、一瞬、涙があふれてきました。実は、師父はずっと私を助けてくださっていて、その40日間、私のために師父がどれほど耐えてくださったことでしょうか。涙を流していた私は警官の質問にも答えられなくなっていました。そして警官は、「明日、おまえはここを出て第四隊に移送されることになっている。そこはさらに厳しい環境なのでしっかりやれ。実はおまえに教えられなくても、おまえの師父がおまえを助けていることは、私には分かっていた。普通の人間にはこんな苦境は全く乗り越えることはできず、本当の大法弟子しか乗り越えることはできない」と言いました。
(続く)
(明慧ネット「神が人間界にいる」応募原稿)
2011年03月27日
明慧ネット:jp.minghui.org
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