■日本明慧 http://jp.minghui.org/2011/03/28/mh290861.html 



私達は緩んでいる時、思い出しただろうか

文/暁陽

(明慧日本)法を正す進展が急速に進み、今は最後の最後に至りました。千載一遇の偉大な時刻が近づくにあたり、大法の中の一粒子であり「法を正す時期の大法弟子」でもある私達は、一意専心に「三つのこと」をよく行い、師に手伝って法を正し、もっと多くの衆生を救い済度して、私達の先史の大願を成し遂げるために努力すべきだと理解しています。それは、私達の重大な責任であるばかりではなく、私達が降りて来る時の誓いでもあります。
 
 私達一人一人の弟子達はこの事に真剣に取り組むべきであり、ごくわずかな緩みもあってはなりません。このことをなおざりにしてはならず、着実にすべきです。如何なる口実も自分がこのことをしない言い訳にはなりません。本当に重大なこととしてすべきです。そして、私達は日常の一言一行、ひいては一つの思いや一念さえもすべて大法の中に溶け込むべきです。私達は皆、大法の一粒子ではありませんか? この時期まで来たら愚かなままでいてはならず、目覚めていなくてはいけません。すべきこと、してはいけないこと、考えるべきこと、思ってはいけないこと、すべてをはっきりさせるべきです。常人の心あるいは如何なる心によって、私達が衆生を救い済度する決心を阻止、阻害、妨害、影響することがあってはいけません。これは天地開闢以来なかったことで、宇宙の中で最も偉大で、最も神聖なる使命です。必ず師父を固く信じ、大法を固く信じ、師父について行くべきです。師父のおっしゃった通りしっかりと行い、この道の最後をよく歩み、師父と一緒に家に帰りましょう。
 
 私達はすべてを分かっている以上、これ以上精進せず、怠けるなど、自分の正念を緩めて法に基づかないことをしないでください。師父は次のようにおっしゃいました。「修煉者の考えが法から離れれば、邪悪は付け入ってきます」(『米国フロリダ法会での説法』) 私達はどんな時でも、いつも正念をもって行うべきであり、時々刻々、自分を法輪大法の修煉者と見なし、主意識をきっとはっきりさせましょう。
 
 私達の置かれた環境がゆったりとし、安逸心が生じてレジャーを楽しみ始める時、最後に残った悪がまだ取り除かれていないことに気付きましたか? 私達が自分を緩めている時、私達は三つのことを思い出したでしょうか? まだ多くの衆生が私達による救済を待っていることを思い出したでしょうか? 私達は使命を背負っていることを思い出したでしょうか? 私達を地獄から引き上げ、私達の汚い思想、身体を浄化し、細心に私達を加護し、保護してくださっている慈悲で偉大な師父を思い出したでしょうか? 「法を正す時期の大法弟子」として私達はなぜ師父を手伝い、一部を分担しないのでしょうか?
 
 私達が家族と一緒に美味しいごちそうを楽しんでいる時、私達が未だに食べものを浪費している時、国内で不当に監禁されている同修達を思い出したでしょうか? 家を失い、流浪している同修達を思い出したでしょうか? 流浪を重ねている同修達が未だに法を実証することを固く続けていることを思い出したでしょうか? ある同修達が未だに大法の資源を浪費し、必要のない物品を買う時、衣食を切り詰めて節約したお金で、機材、紙などの物品を買って様々な真相資料を作り、世の中の人々を救い済度すべきであることを思い出したのでしょうか?
 
 ある修煉者が未だに家族あるいは他の常人とトラブルを起こし、ひいては衝突、論争し、暴れたり騒いだり、かんしゃくを起こす時、すでに法に基づいておらず、自分を修煉者と見なしていないことを思い出したでしょうか? 相手を救い済度すべきことを忘れたのではないでしょうか? 師父は『二〇〇九年ワシントンDC国際法会での説法』で次のようにおっしゃいました。「あなたが理性的で、善良でいられるとき、それは佛性であり、善なのです。理性的ではなく、衝動的になり、怒っているとき、ひいては理性を失ったとき、それはすなわち魔性です。ただ現れたときの程度が違うだけです」 私達は問題に遭った時、冷静に対応し、法に基づいて問題に対処し、大法にマイナスの影響を与え、法を実証し、衆生を救い済度することに迷惑をかけてはいけません。
 
 法を実証することで、同修の間で誰が正しいとか、間違っているかということで論争し、どちらも譲らずに争って顔や首が真っ赤になる時、この時の心態がすでに法に基づいていないことを思い出したでしょうか? 自分が修煉者であることを忘れ、師父のおっしゃった法も忘れているのではありませんか?
 
 私達が表面上の正誤でお互いにどうにもならなくなった時、私達の一つの思い、一念を虎視眈々と見つめている邪悪勢力が、あらゆる方法で私達の修煉の中で隙を突き、私達を迫害し、私達を隔て、私達を下へ引っ張り、私達を滅ぼそうとしていることを思い出したでしょうか? 同修達よ、私達は邪悪に機会を与えてはいけません。私達はなぜこのすべてを否定しないのでしょうか? なぜ発正念をして同修達を隔てているすべての邪悪の要素を取り除かないのでしょうか? 私達はみな師父に管理されているのではありませんか? 私達のすべても師父が決められ、按排されているのではありませんか? 旧勢力には私達を管理する権利も資格もなくふさわしくもありません。必ず発正念をして邪悪な勢力を取り除き、否定すべきです。
 
 一部の修煉者達がまだ様々な口実で自分の人心を隠し、法の実証と衆生を救い済度することをしない時、私達の責任、誓いを実行すべきであることを思い出したでしょうか? その怖がる心は自分自身ではありません。私達は法を正す時期の大法弟子です。私達こそ、この舞台の本当の主役であり、怖がる必要があるのでしょうか? 師父は「実は大したものではありません。本当の修煉者の前では、それらは何ものでもありません。一千年かそこら修煉したとしても、小指の先の一ひねりにも耐えられません」(『転法輪』)とおっしゃいました。そして、師父はまさに私達のそばにおられるのではありませんか? 時々刻々私達を加護、保護してくださるのではありませんか? 怖がる必要があるのでしょうか? 同修達よ、早く怖がる心を放下し、正々堂々と出て来て真相を伝えましょう!
 
 今、一部の同修達が未だに常人の中で名利の追求に執着している時、師父の二つの経文『真修』、『修者忌』を繰り返して拝読してほしいのです。ここは私達の終着駅ではありません。師尊は次のようにおっしゃいました。「常人社会に来ている間は、ちょうどホテルに泊まるようなもので、しばらく滞在したら、たちまち去っていくと言われます。ところがこんな場所に未練がありすぎて、自分の家を忘れてしまっている人がどうしてもいるものです」(『転法輪』)
 
 最後に、発正念の面でまだ精進していない同修達にも、師父から私達に与えられた神通で、「三つのこと」の中の一つである発正念をするように注意を呼びかけたいのです。発正念も必ずよくすべきことで、四つの時間帯(中国時間:0時、6時、12時、18時)の発正念をぜひともなおざりにしてはいけません。師父が私達にさせることはきっと最も正しいのです。師父から頂いたすべてが最も正当で、最も良いものです。だから私達は師父の話に従って、師父のおっしゃった通りすべてをよく行わなければなりません。発正念の要領をまだ掌握していない、あるいは発正念についてまだはっきり分かっていない、あるいは発正念の時、意識がはっきりせずにぼんやりしている同修達は、師父の発正念に関するいくつかの経文を繰り返して学んでさらなる向上をするように提案します。
 
 同修の皆さん、精進しましょう! 固く師父を信じ、法を信じ、師父のおっしゃった通り行い、師父の要求された通り行い、そしてもっと良く行うべきです。くれぐれもこれ以上緩めずに、正念をもって最後の道をよく歩みましょう。
 
2011年03月28日


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