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四川大地震、師父の加護で災難から逃れた


文/中国雲南省の大法弟子・明明

(明慧日本)私は雲南省の峨嵋(がび)県の政府所在地で生まれました。私の祖母と母は生まれてからずっと仏を信じ、仏を尊敬してきました。私の祖先は心根が優しく、勤勉で、人に優しく、慈善事業や喜捨を好んで行っていました。私も幼い時から嘘をつかず、操を守り、人にやられてもやり返さず、名利にも淡泊でした。1997年3月に私が地元に帰り、退職の手続きをする時、師父の法身が私を煉功場に連れて行ってくれ、それから私は法輪大法の修煉の道を歩み始めました。私はずっと師父の教えに従い、法を学び、心を修め、14年間『転法輪』を通読し、毎日1〜2講を読み、そしてしばらく時間をおいて読み直し、師父の説法録音テープ、ビデオを見たり、聞いたりして、師父の経文と各地での説法を読みました。今まですでに『転法輪』を数百回通読し、各地での説法を数回読みました。
 
 1999年7.20、中共(中国共産党)政権が法輪功に対して迫害を始めてから、私は大法が一生をかけて求めていたものだと堅く信じて「生きて求める所無く死して留まるを惜しまず 妄念を蕩尽すれば 仏を修するは難しからず」(『洪吟』「無存」)を念じて、「師父に手伝って法を正し、真相を伝え衆生を救うことは、大法弟子の神聖な歴史的使命であり、責務なので大法弟子はだらけてはいけない」と思いました。数年来、私は数カ所を転々として、遠いところには真相資料を送り、近いところには役所、学校、町内、農村の労働者が住む地区で小冊子、資料、DVDを配り、三退を勧めて、真相を伝えることを緩めたことはありませんでした。私は70歳を過ぎていますが、コンピュータ技術を学び、インターネットで真相資料をダウンロードして、全国各地でまた小さな花が咲いたように、自宅に資料拠点ができました。
 
 2008年初め、私の古い同級生たちは5月12日に都江堰(とこうえん)市で同窓会を計画しました。私は何か不吉な予感がしたので、都江堰市に出向き、同窓会の企画者に「5月は不吉な兆しがあります。同窓会の日程を繰り上げるか繰り下げるかしてください。私は4月がよいと思います」と提案しましたが、受け入れられませんでした。そこで、同窓会当日の夜明け、私は成都からバスで都江堰市へ向かう途中に発正念をして、同窓会に出席する衆生の空間場を妨害する旧勢力、すべての黒い手、卑しい鬼、中共政権の要素を一掃し、同時に、師父の法身の加持を求めました。その日はまさに5・12四川省ブン川大地震が起きた日でした。
 
 私たちが都江堰の市政府の宿泊所にチェックインして昼食を終えた頃、14時28分に大地震が発生しました。しばらく、ビル全体がぐらぐらと揺れて、テーブルと椅子、茶卓は倒れ、天井や壁のセメントの塊が崩れ落ちてきました。同級生は皆、驚き慌ててベッドの下にもぐりましたが、私は少しも慌てることなく、床に座って座禅を組み、口の中で「大丈夫です! 大丈夫です!」と念じました。私はこのように念じながら、二つの手のひらを地面につけて、揺れが収まるまで待ちました。
 
 結局、私と同じ場所にいた42人の中で、一組の夫婦が一時的に行方不明になった以外(地震の時、彼ら2人は下の階へ走り、崩壊した瓦礫に巻き込まれたが後に助けられた)、残りの40人はみな怪我ひとつせずに無事でした。私たちがいた宿泊所はいくつかの部屋が崩れた以外、無事でしたが、宿泊所の向かいのビルは崩れ落ち、すべて廃墟になりました。師父が私たちを救ってくださったのです。この出来事で、何人かは法輪功の真相が分かり、三退をしました。同級生たちは皆、法輪大法の師父が彼らを救ったと知っており、師父に対する感謝の気持ちを言葉で表すことができませんでした。
 
2011年04月07日

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