■日本明慧 http://jp.minghui.org/2011/04/07/mh084274.html 



魔難の中で心を正しく持つべし(二)

文/中国の大法弟子

(明慧日本)
 
 三、求める心を持たないで発正念を
 
 私たちの病業が目立つようになった時、多くの同修が最初に思い出すのは発正念で黒い手や共産邪霊、旧勢力の迫害を取り除くことです。これは間違っていないのですが、どうしてすぐ効くものと長い間効かないものがあるのでしょうか? 今回の魔難から体験したのは、発正念は求める心を持たず行うということです。発正念は神聖かつ偉大なことで、単に体の苦痛を取り除くためではありません。魔難の中(特に長い間、陥っている同修)にいる同修が冷静で強い念を持つのは難しいのです。他の同修が手伝って発正念してあげるのはどうでしょうか? ある程度の効果がありますが、やはり本人が決めなければなりません。求める心では絶対にできません。執着心を放下するにつれ、心性が高まり、法理をはっきり理解できて、正念も強くなり、「卻(かえって)心悪き人自ずから敗れる」(『洪吟二』「别哀」)のです。
 
 魔難の中にいる同修に、発正念の時は何を考えるべきだと教えたり、明慧ネットに、どのように発正念をしたら魔難を乗り越えたか書かれていたと教えたりするのは良くありません。なぜならば、それは人が法の中から悟り得たもので、大法は修煉の中で自分が悟ることを求めているからです。
 
 もう一つ重要なことは、発正念に自信を持つことです。何の効果も感じられないと、発正念に疑問を持ってしまい、自分の執着と不足を探さず、魔難に直面しようとしません。そうなるとますます分からなくなり、魔難も大きくなり、乗り越えることが難しくなります。
 
 実は発正念については、師父の講法と明慧ネットの文章の中に、詳細に書かれています。より多く学法すれば、正念は強くなり、何でも分かるようになります。
 
 四、主意識を強め、内に向けて自分を修め困難を突破する
 
 師父は『二〇一〇年ニューヨーク法会での説法』で「最もひどく妨害され、最も深刻に迫害されている人の多くはあまり精進していない学習者であり、あるいはいつも法を勉強していない人、法を勉強するときほかのことを考えている人です」とおっしゃいました。確かにそうです。私は10数年来、煉功の時はめったに入静できませんし、発正念も集中できません。厳しい魔難の中で、同修と「主意識を強める」の部分の説法を学びました。これは今までのすべての修煉と異なる最大の特徴です。主意識を強め、思想業を取り除き、内に向けて自分を修めることで難関を突破することができます。
 
 最初の数日間、私は1人で留守番をしており、突然怖くなり、いつもおかしい念が出てきましたが、正しくない念とは感じませんでした。これは本当の自分ではなく、取り除く一番よい方法は学法をしっかりすることだと、自分の空間場を整理する発正念の時間を延ばしました。そうすると、だんだんと主意識が強まり、出てくる悪い念をすぐに取り除くことができました。こうすることで、主導権を握り、自分を迫害し、妨害する悪いものを取り除くことができました。
 
 ここで特に注意してほしいのは、発正念で必ず自分の空間場を整理することです。多くの同修は最初の5分間で自己を整理することを重視しません。師父が我々にやるようにと言われることは絶対に重要なのです。
 
 五、同修の助けに依頼心を持たない
 
 病業の魔難の中にいる同修は、他の同修の助けを望む傾向がありますが、頼る心を持つべきではありません。難は自分の修煉の道で必ず乗り越えなければならないもので、師父の法身と護法の神が私たちを見守り、それを乗り越えるのを待っておられます。自分の正念で乗り越えることこそ、自分の威徳です。依頼心をなくしたとき、同修の助けが効くのです。私が辛かった当時、功能のある同修を思い出しましたが、すぐに間違った考え方だと思いました。「修めることは自身のことで、代われる人はなく」(『精進要旨』「堅定」)自分の正しい念と正しい行いがあってこそ、乗り越えられるのです。良くない念を放下した後、自然に師父が体の悪いものを取り除いてくださいました。
 
 同修に対する依頼心はとても感じにくく、注意しないと妨害され、時には危険をもたらします。私が速やかに回復している最中、漢方医の同修が見舞いに来た時、私の曲がった頸椎を治してみようと言ったので、ちょっと良くないかなと思ったのですが、同修だし、つい同意してしまいました。結局、翌日からかえってひどくなり、3日目は起きられないほどになり、自分が間違ったと分かりました。とても危険な状態で、脈も感じられず、先の同修は妻に「もしかしたら寿命かもしれない」と言いましたが、妻はそんなことはないと信じました。私の心の中でははっきりしていました。「私は間違いましたが、乗り越えます。これらのすべては見せかけに違いありません」 やはり午後になって回復しました。
 
 六、明慧ネットで同修たちと交流することは病業の魔難に大きな助けになる
 
 明慧ネットには病業の魔難に関する交流文章がたくさんあり、修煉を向上させ、法理をより理解させ、病魔に勝つことに大きな役割があります。5月12日の夜、私ははっきりした夢を見ました。私は暗い部屋から飛び出し、横に人の背丈ぐらいの大きい陶器の輪があり、読めない文字が刻まれていて、隣に大きなハンマーがありました。どういう意味でしょうか? わかりませんでした。435期の『明慧週刊』に載った『病業の形で大法弟子を迫害する旧勢力の妨害を取り除く体験』を読んで、廃棄すべきだと分かりました。日曜日の午後、私は正座をして立掌しました。「師父の加護で、法輪大法で修煉した神通の法力で旧勢力を否定し、迫害を取り除きます」本当に理性で念は強かったのです。3分もしないうちに、全身が震えて、光を放ち、体は一瞬にして軽くなりました。そのものは解体されました。師父への感謝の気持ちは言い切れません。
 
 明慧ネットの交流文章と同修の間の交流は、本当に大切なものです。ここで、明慧ネットと周りの同修たちに感謝します。これほど困難な状況でも同修を促し、師に手伝って法を正すことは素晴らしいのです。
 
 正法時期の大法弟子として、重大な歴史の使命を受けて、旧勢力は一人一人の大法弟子に按排しています。「旧勢力は実質上、法を正す中で大法弟子が出てこられるかどうかに対して、いつも皆さんのそばにある巨大な関と難です」(『考えをはっきりせよ』)迫害の形はいろいろあります。病業の魔難、経済的な迫害、政治的な迫害、刑務所、労働教養所での迫害、家庭内の迫害などなど、すべての目的は我々を破壊することです。私たちは固く師を信じ、法を信じることによって、旧勢力を否定し、その迫害を取り除くのです。これこそ大法を実証して、師に手伝って法を正すことなのです。
 
 わずかな体験ですが、不適当なところはご指摘をお願いします。
 
 (完)
 
2011年04月07日


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