■日本明慧 http://jp.minghui.org/2011/04/08/mh095546.html 



執着を放下すれば真の幸せを感じられる

(明慧日本)ある同修は生活面ではあまり余裕がないのですが、会うたびに毎日がとても楽しそうで、「大法を修煉しているから何の心配もなく、毎日幸せだ」と言っています。
 
 修煉することでどれ程の美しい未来が私たちを待っているのかなどを考えず、執着心を放下できれば非常に楽に感じます。名、利、情に駆られて邪悪に妨害され、精進していない同修を見ると本当に残念に思います。私もかつてその苦しみにとらわれ、そこから抜け出してきたので分かります。執着すればするほど苦しいと感じるうえ、正法修煉の時間はますます少なくなります。すぐに精進しなければ、後悔しても間に合いません。
 
 先日、1999年7.20の迫害以降、修煉をやめたある同修と会いました。彼女の生活条件は周りの人々もうらやむほどで、彼女は毎月けっこうな年金をもらい、夫もとても優しい人でした。しかし、彼女は息子の家庭トラブルに気を揉み、常に心配しています。彼女は孫の面倒を見るため、息子の家に泊まっていましたが、トラブルに耐えられず実家に戻りました。彼女は息子に執着しすぎて、毎日ため息をついています。逆に彼女と接触する同修たちは皆、生活条件が非常に悪いのですが、毎日楽しく生活しています。それを見て、その夫婦は改めて大法の修煉を始めると決めました。
 
 名、利、情に執着しているとき、その執着が満たされた瞬間は確かに興奮し、人はそれを幸せだと言います。常人は皆それを追求していますが、その満足感と幸せは往々にしてすぐに終わってしまいます。刹那の幸せが過ぎ去れば、また幸せを感じるまでの相当長い間、苦しい時間が続くでしょう。しかし、大法を修煉して執着心を放下してから感じる幸せは長く続きます。しかも修煉の中で幸せを感じられるだけでなく、将来はもっと美しい幸せが待っているのです。
 
 私が思うに、邪悪の迫害を恐れて修煉をやめ、名、利、情に執着して精進していない同修たちは大変な損をしています。落伍した同修たちは冷静に自分を見つめ直し、理智的にこの利害関係をはかるべきだと思います。万古の機縁を逃してはなりません。精進している同修たちも手本を示し、執着を放下して得られる幸せを落伍した同修たちに見せ、修煉の道を歩むことこそが真の幸せに向かうということを知らせるべきです。
 
2011年04月08日


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