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師父が私の手を支えてくださっている

文/中国の大法弟子(同修代筆)

(明慧日本)私は60歳すぎです。1997年に法輪大法を修煉し始めました。正式に学校に通ったことがなく、夜間高校に通いました。修煉の道で、いつも慈悲なる師父が私を加護してくださっていると感じています。私はある経験がとても印象深く心に残っており、師父がくださった機会を利用し、ここに真実を書きます。
 
 2005年の冬、夫がこの世を去りました。人の情がまだ徹底的に放下できていなかったために、私は旧勢力に隙に付け入れられ、迫害を受け、身体に腫れものができました。私の下半身は氷のズボンをはいたかのようで、発正念をするときは手が時々倒れてしまい、学法するときも意識がそのままなくなっていきました。しばらくはまともに寝ることもできず、ようやく眠りに入ったのに邪悪が私の眠りを妨害してきました。時には、邪悪が自分に近寄ってくると体が動かなくなってしまい、声も出せませんでした。私は心の中でずっと「滅」と念じ「師父、助けてください」と叫ぶと、ようやく頭がはっきりし、体も動くようになりました。私は、何度か邪悪が人の姿を装って部屋の中を漂っているのを見たことがあります。また、あるときはトイレで、小銭ほどの大きさのたくさんの黒い手を見かけたこともありました。師父は2004年の『正念で黒い手を根絶する』で次のようにおっしゃいました。「黒い手の数は非常に大きいのであって、この空間で表した形体は非常に小さいのです。大きいものはコインくらいの大きさで、小さいものはペンの先くらいです。多くのものはペンの先くらいの大きさです」
 
 私はこれが迫害だと気づきましたが、自分の内に向けて探しませんでした。そのときは人の手段でただ我慢して、発正念の時間になると隣に氷水で冷やしたタオルを置き、うとうとし始めるとタオルで顔を拭いたりして、意識を保とうとしました。ある日の深夜3時半ごろ、「起きてください、煉功すべきです」という優しい声が私を呼び覚ましました。私は、すぐに起きて周りを見ましたが、誰もいませんでした。私は、師父が呼んでくださっているのだと分かり、感動で涙があふれました。その後、発正念のときに手が優しく自分の倒れていた手を支えてくれていることを感じ、また顔が涙であふれかえりました。私は「師父よ、申し訳ありません。私はこんなにも精進していないのに、師父はいつもそばで私を見守ってくださっています」と思いました。この文章を書くとき、当時のあの感覚を思い出し、思わず涙が出ました。
 
 その後、私は衆生を救う緊迫さを感じ、自分を緩めずに外に出ました。ある日、私は自転車に乗って真相資料を配りに行きました。家に帰るとかばんの中の資料が一つも残っていないことに気付き、師父が私を励ましてくださっていると分かりました。家に帰る途中、まるで誰かに押されているかのようにとても軽やかで、このようなことは初めてで、とても素晴らしかったです。師父はいつもそばにいてくだり、私を見守って下さっています。このことは、苦難を乗り越えようとする私の決心をさらに堅くしました。
 
 師父、あなた様がいつも私の手を引いてくれたおかげで、私は一歩一歩、歩んでこられたのです。師父がいなければ、私は一歩も歩み出せませんでした。迫害が始まったとき、周りの学習者たちが修煉を諦めたのを見て、私は「たとえどんな苦難にあっても、私は必ず最後まで頑張る!」と静かに決心しました。
 
 偉大なる師父は弟子のために、衆生のために、全宇宙のために我々が想像もつかないほど巨大な苦に耐えてくださっています。このことを思うと、私は師父の壮大な慈しみに合わせる顔がありません。私が怠惰になってよい理由は少しもありません。苦難の中で、さらに心身ともに磐石のようにならなければならないのです。
 
 億万年も待ちわびた機会、師父と再びめぐり会う時を、神が人と共にいる時をずっと待ち望んできました。師父が我々を連れて帰られる道で、師父がいつも私の手を引かれ、転んだ私を支えてくださり、正しい道へと導いてくださっています。師父、我々の慈悲なる偉大な師父、私はあなたの手にしっかりとつかまり、前へと歩んでいきます!
 
2011年04月11日


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